或る旅2

おでかけ記録です。ライブドアからはてなに移転しました

寒波迫る真冬の北国へ ①静岡→新潟

2018年12月末

テレビや新聞は「年末寒波到来」と報じ「帰省シーズンを直撃」などとの見出しが躍る。
鉄道や航空便をはじめとする交通機関は、大雪によるダイヤ乱れなどが懸念された。

そんななか私はわざわざ寒波の中に突っ込み、冬の東北を巡る旅を決行したのであった。
4日間をかけて、日本海側と太平洋側を行き来しつつ、北は青森を目指す。

なお、記載してある時刻は予定通りの時刻である。
当日は気象の関係で鉄道は遅れていたので、多少違う点があると思われる。

1日目のルートは
静岡→(東京)→高崎→東三条→吉田→新潟
というものだ。
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5:04 東静岡
ここから、沼津乗り換えで東京まで直通列車に乗る。
東京から高崎線に乗り換え、高崎へ。
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12:02 高崎
上越線でさらに北上していく。
静岡でも見慣れた211系だ(番台は違うが)。
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13:07
列車は水上に到着。大きな荷物を持った人々が乗り換えを急ぐ。
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ここからは新潟支社管内に入り、E129系だらけになる。
一日あたりの本数もかなり少なくなる。
13:40 長岡行きの普通列車は水上を発車した。
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文字通り「山の中」にある湯檜曽駅。一度降りてみたいが、いかんせん本数がないので行きにくい。
列車は長いトンネルを走る。
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「国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた」
川端康成の『雪国』におけるこの一節はあまりにも有名だが、北関東と信越地方を分かつこの新清水トンネルを抜けたときの、銀世界が一面に広がる光景はまさに『雪国』で描かれたままである。
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途中の越後中里駅。スキー場の目の前である上、客車が連結されて置いてあるのがなんとも印象深い。

ここから列車は、越後湯沢、六日町、浦佐、などを通り北上していく。
終点長岡では新潟方面の列車が向かい側のホームに停まっており、すぐに乗り換えることができた。
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東三条駅に到着。ここから弥彦線に乗り換える。
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特に深い理由はなかったのだが、信越本線でそのまま新潟に行くのはやったことがあるうえ、越後線には一度も乗ったことが無かったので、こういった遠回りルートになっている。
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吉田に到着。四方向に線路が分かれている。
ここからは越後線の列車で新潟へ向かう。

夕方4時過ぎだったが、すでに辺りは真っ暗である。
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17:54 本日の目的地、新潟に到着した。
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新潟駅は高架改良工事を行っており、すっかり様変わりしている。
115系大国だったかつての新潟には地上駅舎がぴったりだったのだが、E129系が増えた今となってはちょうどいい感じにはなっている。
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磐越西線などへの直通列車。
国鉄気動車も、このなんだか不釣り合いな駅舎に収まっている。
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上越妙高からの特急「しらゆき」
かつて常磐線で主力だった特急列車は日本海側へと拠点を変えて再び主力として活躍している。
新潟駅E129系ばかりが発着する。E127系もほとんどがえちごトキめき鉄道へと渡っているとのことだ。
先述の115系もそうだが、やはり、国鉄形がマイノリティになっているなと実感させられる。
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雪がちらつく新潟駅

さて、新潟に来たのには一応”理由”がある。
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万代シティバスセンターの立ち食いスペースのカレーが旨いらしい。
そんな噂はたびたび耳にしていたが、最近はインターネットだけでなく全国ネットのテレビなどでも取り上げられるようになった。

特徴的なのはこの「黄色」だろう。
一見すると甘口のレトルトカレーのような色をしている。
受け取り口で厨房の様子を眺めてみたが、お皿に盛られたご飯にカレールーを盛りつけるだけで終った。こだわりがあるようにも思えない。
ところが、だ。
トンコツスープのベースがしっかりしている上に、スパイスが効いているのである。
わかりにくいかもしれないが、量も割としっかりある。
ワンコイン以下でこれを食べられるのはすごい。

...ここまで語ってはいるが、ここはバスセンター。要はバス乗り場である。
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薄暗く、お世辞に綺麗だとか御洒落などとは言えない雰囲気である。
椅子はなく、選挙の投票所みたいなテーブルが置いてあるだけだ。
しかし、食券を求める列は途絶えることはなく、老若男女問わず様々な人々が食事をしている。

なお、食券は画像右手の食券機で購入する。新潟駅の方向からバスセンターに来ると、同じスペースにある他の店の食券機のほうが先に目に入るので注意が必要だ。

営業時間も19時までと早めである。
実は新潟入りはこれに合わせていたりする...。

さて、そんなところで一日目の終了である。
明日は日本海側をさらに北上する。
いよいよ寒波のど真ん中に突っ込んでいく...。

つづく

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18時間で秋の京都は満喫できる(後編)

18時間で秋の京都は満喫できる(前編)の続き。

さて、蓮華寺を出た我々は実相院へと向かう。
若干迷子気味の我々ではあったが、地元の人にも助けてもらいバスに飛び乗った。

④実相院(15:00)
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ここは、床に紅葉が映る「床紅葉」が有名なスポットであるが、屋内の撮影は禁止ということで様子をお伝えすることはできない。
だが、訪れたときは紅葉が見頃で、旅行パンフレットで見たような風景が広がっていた。
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朝、少し雨が降っていたこともあり、庭園からはうっすらと虹を見ることができた。
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拡大...。
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燃えるような紅葉。
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ついついこういう写真を撮りたくなってしまう

虹と紅葉を楽しんだ我々は、さらにバスで南下していく。
なお、実相院の最寄りバス停は「岩倉実相院」バス停だが、別路線の「岩倉中町」バス停も徒歩10分ほどでアクセスできるので時間帯に合わせて工夫したい。

岩倉中町→国際会館→(地下鉄)→北大路→千本北大路→鷹峯源光庵

⑤源光庵(16:00)
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日も傾き、拝観時間終了ギリギリといったところであった。
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この二つの窓は見たことのある方も少なくはないだろう
左を「悟りの窓」、右を「迷いの窓」というそうだ。

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障子など、和風建築の要素が「額縁」として庭園を引き立たせている。
これが計算されたものなのかはわからないが、(前編)で訪れた蓮華寺のお坊さんに言わせてみれば、これもまた「極楽浄土」としてのデザインなのだろう。

源光庵から移動する。
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バスで二条駅まで一気に下り、地下鉄で東山へ向かう。
南禅寺のライトアップに行こうとしていたのである。

ここまで、瑠璃光院くらいしかまともに「秋の京都」に巻き込まれていない我々。
「少し並べば」と思っていたのが間違いであった。

南禅寺の入り口にたどり着く。壁の向こう側にはライトアップされている紅葉が少しだけ見える。
人が並んでいるのがちらっと見える。
「少し並べば、ってとこかな?」と思って見ていると、
「めちゃくちゃ並んでるんだけど!」と某氏。
そう、先ほど私が見ていたのは行列の一部だったのだ。
その後ろには壁に沿って参拝客がズラーっと数百メートルにわたって並んでいる...。

「秋の京都」の本気を見た気がした。
もちろんライトアップも見たいところだったが、とっとと撤退。
再び地下鉄で中心部へと戻るのであった。

東西線が三条に着いた時、「そういえばここから東福寺まで一気に下れるじゃん」と思いつく。
東福寺のライトアップ」を見に行く計画があったのだ。
そうして京阪電車に乗り換え、東福寺駅に到着。

しばらく迷子になり、警備員の人に訊いてみる。
東福寺ではやってない、勝林寺でやってる」とのこと。
やってないのか…。

⑥勝林寺(18:00)
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勝林寺は東福寺の向かい側にある。
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決して大きなお寺ではないが、ライトアップされた紅葉はとても美しかった。
本尊である毘沙門天像は通常は見ることができないが、この秋の拝観の時期には特別に見ることができた。撮影は禁止であった。

⑦東寺(20:00)
東福寺からバスで西へ移動。
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京都駅からも程近い東寺。
こちらもライトアップがされている。
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五重塔が映える。
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市内中心部にも程近いにも関わらず、観光客はそこまで多くはなかった。
また、東寺は寺院には珍しく三脚の利用が可能というのも嬉しかった。

さて、帰りのバスの時間まであと2時間ほどとなった。
この時点では夕食がまだだった。
京都といえばラーメンということで一致していたので、何を食べるかは決めていたのだが、タイミングを逃して食べられずにいた。

当初行こうとしていた某店は休業日。
もう一つの候補の店へ向かう。この時点で21時半だった。
が、店の前は長蛇の列が出来ている。
22時閉店ということだが、このままでは食事にはありつけないのではないか。

Google先生によると、京都駅構内にもラーメンを食べられる「ラーメンストリート」という場所があるらしい。
移動することを決断し列を離れた我々。

京都駅ビルの10階に到達した瞬間だった。
「ラストオーダーのお時間です」
という声とともに目の前で列が閉じられていく。
時計を見ると21時45分。
22時に閉店するこの「ラーメンストリート」のラストオーダーの時間ぴったりに到着した我々は、この上ない絶望感に包まれたのであった。

―ラーメンが食べられない―
こんな事態になるとは思わなかった。
ここで食事が取れないとなると、静岡までの深夜バスは空腹に耐えなければならないことになる。
それだけは避けたい。

と思っていたとき「さっき東寺から駅に来るときにラーメン屋あったよね」と某氏。
調べてみると、なんと0時まで営業しているらしい。

22時、まだ閉店まで余裕があるにも関わらず我々は思わず走りだしたのだった。

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ラーメン研究所というお店。
豚骨なのだが、しつこくない味だ。
しかも「学割」と称して、学生証を提示すれば900円で餃子セットを頼めるという「学生の街」ならではのサービスもあった。
最高である。

今回の怒涛のような旅の締めくくりに相応しいラーメンだった。
「銭湯に行きたい」とのリクエストもあったものの、時間がギリギリすぎてパスしたのは残念だったが…。


そうして23時、静岡行きの高速バスに乗り込み今回の旅は終わっていったのであった。

ここまで詰め込んで24時間経っていないのだ。
充実していたと思う。

この0泊1日旅行のポイントについて考えてみると、
・平日であること
・マイナースポットに絞る
・地下鉄とバスを組み合わせる
・人が多そうな場所を挟むときは早朝か遅めの時間に
ということが成功のカギだったと考える。
特に、二番目のマイナースポットに絞る、というのは大きかった。
京都のド定番スポットばかりを巡っていたら、とても1日では済ませられない。

「有名なところに行きたい」ではなく「紅葉が見たい」という目的だとしたら、必ずしも有名どころが紅葉スポットであるとはいえないので、よく調べてマイナーなスポットに絞れば紅葉は十分楽しめるといえる。

来年にでも、京都へ0泊1日の弾丸旅行を検討されている方は、ぜひ参考にされたい。

「18時間で秋の京都は満喫できる」おわり。

18時間で秋の京都は満喫できる(前編)

2018年11月

朝5時半
昨晩11時に静岡駅を出たバスは、まだ夜も明けぬうちに京都駅前に到着した。
静岡よりも気温ははるかに低い。

なぜこんな時間に京都に着く必要があったのか。
それは、我々には時間がないからである。
軽いノリで秋の京都に行こうという話にはなったものの、長期休みでもないこの時期は時間がない。
そんなわけで、この「弾丸旅行」を計画したのであった。
なお、今回訪れたのは平日であり休日の混雑具合とは異なる可能性が高いのでご留意願いたい。

さて、今回のプランは朝5時に京都に着き1日行動したあと、その日の深夜に京都を発つ高速バスで静岡へと戻るというものだ。
もちろん滞在時間は24時間を切っている。

今回訪れたのは以下のスポット
三千院
②瑠璃光院
蓮華寺
④実相院
⑤源光庵
⑥勝林寺
⑦東寺
普通に考えると厳しいところがあるのだが、恐ろしいことになんとか全て回れてしまったのである。
なお、③と⑥は予定外だった。

さっそく移動を開始する。
今回は、この旅の”スピード感”を表現するために、各寺院の歴史的な解説などは基本的に端折らせていただく。あと、単純に知識がない。

朝6時ごろ、お腹も空いたし朝食を取ろうと地下鉄を乗り継ぎ、二条城前駅で下車。
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喫茶「チロル」という喫茶店でモーニングをいただく。(6:30頃)
5時半ごろから営業しているので今回のような弾丸旅行でも便利かも。
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ジャムトーストとコーヒーのセット
店内も地元の人から観光客までさまざま。

さて、ここからは地下鉄とバスを乗り継いで一つ目の目的地、三千院へ向かう。
今回は900円で地下鉄とバスが一日乗り放題になるフリーパスを利用。

二条城前→(地下鉄)→烏丸御池→(地下鉄)→国際会館→(バス)→大原
で移動。中心部から約1時間半。
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京都バスも利用可能。

ここから三千院までは徒歩15分程度坂を上る。
京都市中心部よりも若干気温は低い。

三千院(8:30)
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平日の朝から庭園を眺めながら抹茶をいただく。
授業を休んでいるという背徳感も相まって非常に幸せな時間であった。
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紅葉の絨毯という表現がぴったりな場所
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朝ということもあって観光客も多くはなく、静かな空間が広がっていた。
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1時間ほど滞在したあと、再び京都バスで少し南下する。

②瑠璃光院(10:00)

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八瀬比叡山口駅のそばにある「瑠璃光院」。
ご存じの方も多いとは思うが、ここは春と秋のみの限定公開ということもあり人気である。
今回も、30分ほど並んでようやく2時間後の入場整理券を買うことができた。
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待ち時間中に八瀬比叡山口駅叡山電車を見る。
これは昨年デビューの新型。なかなか奇抜ではあるが、このシックなデザインは悪くはないと思う。
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ケーブル八瀬駅も近い。
駅とその奥の紅葉もよい。

さて、そんなこんなで入場時間となった。
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机に外の木々が映り込むこの構図は、多くの人が見たことがあるだろう。
なお、この写真ではうまく避けているが、私の横と後ろには多くの人がカメラやスマホを構え同じ写真を撮っている。
係員が、長居している人に注意する場面もあった。
インスタ映え」というやつなのだろうが、同じ写真のためにここまで必死になるものなのだろうか...。
そう思う反面、自分もその一人であることにふと気づいたりもする。
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瑠璃光院の魅力は、あの机だけに限らない。
庭園の紅葉も美しく、数時間待ってでも見る価値は十分にある。
期間限定なのは勿体ないと思えるほど、美しい空間だった。
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さて、瑠璃光院を後にした我々は中心地へと下っていく。
が、途中で予定外のスポットを発見。

蓮華寺(14:00)
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見事な庭園が広がっている。
眺めていると、お坊さんが現れて話を始めた。
「庭園の紅葉目当てのお客さんは多い。だが、お寺やその庭園は、本来は極楽浄土を”目に見える形で表現”したもの。もちろん紅葉を楽しみにされることは良いが、お寺という場所は本来そういうところであることを覚えておいてほしい」
という内容のメッセージだったが、何かに対するお説教というわけではなく、ジョークも交えながらわかりやすく解説してくれたものであった。
そういう意味では、一番「信仰心があるな」と感じた。
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予定外の訪問だったが、美しい紅葉を見れたうえに興味深い話が聞けたのでよかった。
蓮華寺を後にした我々は、次の場所へと移動しようと思う。

「18時間で秋の京都は満喫できる(後編)」に続く。

アジアの南欧・マカオを歩く


前回更新から時間が空いてしまったことをお詫び申し上げたい。

さて、前回はマカオ到着直後のちょっとしたバトルについて紹介した。
今回は一日を使ってマカオの街を歩いてみようと思う。

ホテルはマカオの中心地・セナド広場に程近い場所に位置している。
それゆえここを拠点に歩いて散策することが可能なのである。
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路地裏とまるで要塞化のようなアパート。こういう風景を期待していた。
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マカオ名物の「エッグタルト」を頬張り、街を歩く。
どの店も10パタカ(香港ドル)程度。
大きさも、食べながら歩くにはちょうどいいサイズである。

愛想の悪い食堂で遅めの朝食を取ったところで、さっそく街歩きを始める。
...のだが、このときカメラケースをバス通りに落としたらしく、そのことに気づいたあとで再び戻ると、半年前にシンガポールで購入した保護フィルターが粉々になっていた。
なんとも幸先の悪いスタートである。
まあいいや。

マカオは、2005年に街全体が「マカオ歴史地区」として世界遺産に登録されている。
つまり、フォトジェニックな街並みが広がっているというわけである。
期待しつつ、中心部のセナド広場へと向かう。

1.セナド広場と聖ポール天主堂跡
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セナド広場。
ヨーロッパに来ているのではないかと錯覚するような風景だ。


セナド広場から少し歩く。
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聖ポール天主堂跡に到着した。
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聖ポール天主堂は、16世紀後半から17世紀前半に建てられた教会だ。
当時、ヨーロッパ内で宗教改革が進みプロテスタントの勢力が強まっていたという状況のなかでカトリックはアジア宣教に力を入れていた。ここはその拠点としての機能を持っており、当時としてはアジア最大の規模を誇った教会だった。

カトリックだの宗教改革だの、我々日本人には馴染みが薄い単語ばかりが出ているが、ここマカオは日本人なら誰もが知るあの人物と密接に関係しているのだ。
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日本にキリスト教を初めて布教したフランシスコ・ザビエルである。
思いのほか「フサフサ」ではある。

天主堂の地下には博物館があり、当時活躍した宣教師たちの像などを見ることができる。
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左は恐らくイグナティウス=ロヨラ、右がザビエルである。
また、地下にはキリスト教布教の段階で殉教した日本人たちの遺骨が安置されている。

聖ポール天主堂跡では思わぬ形で日本との関わりを見出すこととなった。
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天主堂跡からマカオ市街地を眺める。インパクトのあるホテルリスボアの建物。

さて、ここから少し歩いてみる。
9月中旬はマカオはまだまだ暑い。途中の商店でコーラを買う。
店番のお姉ちゃんは「あんた、どこから来たの?」と聞く。
私は「日本から」と答える。
「日本!私はインドネシアだよ」と。
いつの時代も、マカオにはアジア各地から人が集まるのだ。

2.モンテの砦とギア要塞
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ちょっとした丘を登ると、「モンテの砦」に到着した。
ここはイエズス会が建設した軍事要塞で、数世紀にわたってポルトガルマカオを守り続けた。
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砲台も残されている。
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小さな建物と高層ビルのちぐはぐな風景が魅力的である。
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マカオの街を眺めていると、遠くに灯台らしきものが見えた。
Google先生によれば、あれはギア灯台というらしい。なんとなく気になる。
行ってみよう。

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その道中の風景があまりにもヨーロッパだったので。
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ここは南欧。年中を通して暖かく、太陽が照り付ける。
なーんて...
マカオは起伏が激しく、坂の上り下りも多い。
30分ほど歩く。
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ギア灯台(要塞)の真下に到着。
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ここはマカオで最も高い場所にあたる。
要塞は17世紀、灯台は19世紀に建てられたものだという。
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高台ということもあり、もちろん眺めも良い。
これは空港方面とマカオ半島を結ぶ橋だ。
このギア要塞、下は公園となっており地元民のジョギングコースとなっている。
不思議な空間といった感じだ。

3.南欧の街並みとザビエルの「腕」
再び街に戻る。
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街角にて。
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ヨーロッパ的な風景とアジアの風景が一枚に収まるのもなかなかないのでは...。
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こういう風景も良い。

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サン・ジョセ修道院(聖ヨセフ教会)
マカオとザビエルに深い関係があることはここまで述べてきた通りだが、この教会にはザビエルの「腕」が安置されている。
ザビエルが日本をはじめアジア各地で活躍したことはご存じの通りだが、マカオでは活動していない。
1549年から1551年にかけて日本で宣教したあと、彼は日本での宣教拡大には中国文化の理解が必要だと考え、中国大陸への上陸を試みるが1552年に病死してしまう。
彼の遺骨の他の部分については地元スペイン・ナバラや活動拠点の一つだったインドのゴアなどにも安置されているという。

残念ながらこの日は、「腕」を展示している棟は閉館日だった。
だが、教会の内部は見学できた。
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ヨーロッパの大聖堂を思わせる。でも考えてみれば、ヨーロッパの人たちがヨーロッパ領時代に作ったのだからヨーロッパの大聖堂なんだよな。
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少し歩く。こちらは歴史地区の中心部に位置する劇場。IMG_3401

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街が世界遺産だと言ったが、やはりどこを撮っても画になる。

4.ホテル「リスボア」
マカオといえばカジノ。
事前に調べた情報だと、
①入場料の類はかからない ②治安もそこまで悪くはない
とのこと。
せっかくなので行ってみよう。
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ホテル「リスボア」のカジノ。
セナド広場の前の通りをフェリーターミナルの方向へ10分ほど歩くとたどり着く。
沢木耕太郎の『深夜特急』にも登場し主人公がカジノにのめりこむ姿が描かれている。
さっそく潜入してみよう。

ちょっとした手荷物検査とパスポートチェックを経て、中に入る。
情報通り入場料の類は一切いらなかった。
ガタイのいいガードマンが少しばかり怖いが、何事もなく入ることができた。

内部は撮影禁止なので、画像として様子をお伝えすることはできない。
中央の広間は照明が少し暗めに落とされており、円形の室内にゲームの内容ごとにテーブルが置いてある。
ディーラーは女性が多かった。
客層としては観光客然とした50~60代の人々が多く、服装や言葉から、きっと中国本土からやってきたのだろうと思われた。雰囲気は競馬場とかに近く、あまり「ギャンブル」というイメージではない。
予想外に平和な雰囲気に拍子抜けしてしまった。

ゲームに使っているとみられる機械があちこちのテーブルから「シュポ シュポ」と音を立ているのが、客らの声と共に聞こえてくる。

その楽しそうな雰囲気に、私自身もやってみたい気持ちも出てきた。
が、いかんせんルールがわからないし何より参加方法がわからない。
そして何より十分な資金がないのである...。

またマカオを訪れた際はぜひ挑戦してみたいものだ。
もちろんやりすぎには注意で...。
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手前に広がる下町と奥に見えるホテルリスボアのビル。
なんだかSFチックな光景で気に入った。

5.香港へ
適当な食堂で夕食を取る。
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餃子とうどん?のセット。
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食堂には、マカオを襲った台風の被害が生々しく記録されていた。
香港やマカオなどの珠江デルタ地区は毎年のように台風の被害を受けている。
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そういえば今回も、マカオに到着する数日前に台風が通過したばかりだったそう。
被害の爪痕が残っていた。

日も沈み、そろそろ移動する時間である。
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聖ポール天主堂跡もライトアップがなされている。
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夜景になったらなおさらヨーロッパ感が増した気がする

香港行きの高速船に乗ろうとしている。
フェリー乗り場は市街地から若干離れている。
ホテルで行き方を聞いたところ、「カジノの無料シャトルバスがある」とのこと。

近くのカジノからも出ているようなので移動。
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カジノのシャトルバス乗り場。
なんというか、明らかに場違いなのだが、何も言われることはない。
カジノを利用していなくても無料で乗車できる。
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フェリー乗り場に到着。
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こちらがチケット売場。香港までは3000円程度
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本数も多く、ほぼ15分おきに出ている。

高速船では飛行機のようにシートベルトを締めるように指示される。
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高速船がスピードを上げ、マカオの街並みが遠ざかっていく。
香港までは1時間だ。

16~17世紀のアジアの歴史の中心だったマカオ
その当時の面影を今でも感じることができ、歴史好きにはたまらないスポットだ。
日本からも近いので気軽に訪れることができる。
この時代に興味がある人は、行ってみたらどうだろうか。

香港については今後取り上げていきたい。



歡迎来到澳門⁉

2018年9月
これはマカオでのちょっとした「バトル」の記録である。

―前回までのあらすじ―
韓国・ソウルの予想以上の「居心地の良さ」に感動していたら移動時間を誤算し、しかしながらチェックイン終了時刻のギリギリに仁川空港に滑り込んだ私は格安セールで押さえておいたマカオ行きの飛行機になんとか飛び乗ったのであった。

仁川から3時間と数分。LCCの小さな機体は一度マカオ空港に向けて降下するも、ゴーアラウンドの指示が出たのか、機首を再び上げ加速した。

中国は韓国や日本とは1時間の時差があるので時計を一時間遅らせる。
飛行機は0時半ごろに着陸した。

滑走路からも、巨大なホテルとネオンを見ることができた。
さすがカジノの街といったところである。
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1999年までポルトガル領だったということもあり、申し訳程度のポルトガル語が見受けられる。

① VS タクシー運転手
こんな時間なので公共交通機関は動いていないだろう。
それに、動いていても乗り方もわからないうえ変なところに連れていかれるリスクもある。
大人しくタクシー乗り場に並ぶ。

自分の番になり、さっそく携帯電話に保存してあったホテルの住所を見せた。
運転手はそれを見ると
「ユッコ?ユッコ?」と聞いてくる。
何を言っているのか全くわからなかった。

もしかして英語がダメなのか。
「元はヨーロッパなんだし英語も通じるだろう」という考えが幻想だったと知る。

「 I will go there!」と訴える。
すると彼は「なんだこいつ」といった顔で私を見ると、「とりあえず乗れ」とでも言うかのように車を発進させた。

運転手は、空港のタクシー乗り場から少し離れた場所で車を停めた。
「もっかい見せてみろ」というジェスチャーをするので、携帯電話を渡す。
彼にとって馴染みのない宿だったようだ。
住所を確認すると「あーここね」とでも言うように車を発進させた。

そして、私はここで先ほど彼の発した「ユッコ?」が「You go?」だったことを理解したのであった。

マカオは「マカオ半島」と「タイパ島」、「コロアネ島」の3つのエリアで構成されている。
空港があったのは「タイパ島」で、古くからの街並みが残る「マカオ」は「マカオ半島」に位置している。ホテルもそこに取っている。

タクシーは、長い橋を渡ってタイパ島からマカオ半島へと入っていく。
その長い橋からは、マカオの街並みが一望できた。
ネオンの明かりがキラキラと映っている。なんだかすごいところに来てしまったと感じた。

有名なホテル・リスボアの看板などに圧倒されていると、ホテル付近に到達したようだ。
ところが、狭い路地ではタクシーの前をゴミ収集車がのんびりと走っており進むことができない。

「ここで降りろ、すぐそこだから」
運転手が言うので仕方なく降りる。
料金を支払い車を降りると、ゴミ収集車が加速した。なんというタイミングの悪さだ。

東南アジアでも韓国でもヨーロッパでも、大半のことは「英語でなんとかなった」のだが、「英語がダメ」という状況は初めてだった。
しかしこれは、この旅の後半まで続く「中華圏」の洗礼でしかなかったということは、このあと痛いほど知ることになる。

すぐそこ、とは言うがここは真っ暗なマカオの路地裏。
すぐにわかるわけもなくしばらく彷徨い、ようやく発見。
時刻は1時半だっただろうか。
ようやく眠れる...と思ったら、そんなに甘くなかった。

②VS 宿のオバちゃん
宿のフロントに行く。
「I have a reservation」と言うが、
フロントのオバちゃんは「英語がわからない」というようなことを広東語(?)で返してきた。
やれやれとパスポートを渡す。
すると、
「予約が無い」
というようなニュアンスのレスポンスが返ってくる。

そんなバカな。
きちんと予約サイトで予約した上、支払いまで済んでいる。
しかも今回の旅行では最高額の4000円という料金を払っているのだから、絶対に譲れない。

本来はこういった状況では携帯電話の予約確定メールを見せつければ確実な証明になるのだろう。
だが、どういうわけか携帯電話の電池残量は「0%」、つまりは電池切れ状態だったのである。
こういう状況で力を発揮するはずのGoogleの翻訳機能も使えないという状況である。

「ちょっと調べてみるからちょっと待ってくれ」と言い、オバちゃんはパソコンに向かう。
そして、自身の携帯電話で通話を始めた。
「代われ」というジェスチャーで私に電話をよこす。
英語が話せる人を通じて話せということらしい。

それから少し、「〇日に〇〇という旅行サイトで予約したんだが~」という話を電話の向こう側としていた。

しばらくすると、
オバちゃんは笑いながら、「あったわ」というように予約票を見せてきた。
そこにはしっかり自分の名前が書いてあった。
あったじゃねえかよ!!

時刻は2時半ぐらいだっただろうか。
そういえば、ソウルでも飛行機に乗るので精一杯で夕食を取りそびれ、マカオに着いてもこの有様なのでお腹が減っていることを思い出した。
「腹が減ったんだが、この辺に食い物、レストランは無いか」と尋ねる。
オバちゃんはカップ麺を取り出し「一個10ドルね」と。

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カップ麺をすすり、長い長い一日は終わっていくのであった。

案内された部屋は、4000円というだけあって個室なうえシャワーとトイレもついていた。
素晴らしい...。

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目が覚めると朝10時を過ぎていた。
今日はマカオ散策に徹しよう...

次回はマカオ市内観光編

つづく

ぼっちで韓国・ソウルに行ったら楽しかった話 ②

前回は(当初はそんなつもりはなかったのだが)ソウルの食事の話をメインにした。

今回はソウルの街歩きをしたい。
なお、今回は特に深いテーマがあるわけでも無ければ何か語りたい内容があるわけではないのでご了承いただきたい。
ただ、「ぶらぶら」しながら、「つぶやいたこと」を再現していく形になる。

ソウル都心部をぶらぶら歩く


弘大を離れ、明洞から歩いてみる。
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ソウル中心部の繁華街・明洞(ミョンドン)
なんだか、池袋とか新宿東口のような街だなと思った。

そういう意味では「面白くない」と感じた。
が、これは私がよく知らないだけで、実際はもっと奥深い街なのかもしれないし、よく知っている人と来ればよいだけの話である。

明洞はまたの機会に散策しようと、ソウル駅のほうへ歩き始めた。IMG_2411
こちらは韓国銀行の「貨幣金融博物館」である。
察しのつく方はわかると思うが、日本が統治していた時代に朝鮮銀行として建設したものが残されているのである。
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路地裏。看板が並んでいる様子が気に入った。怪しいものもたくさん売られている。
やはり「アジア」だな、と思った。
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都心にこういう風景が残っているのはいいなと思う。
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少し歩くと、南大門が見えてきた。かつてこの後ろには日本の朝鮮総督府の建物が鎮座していた。
すでに取り壊されてはいるが、当時は屈辱的だっただろうと思う。
この建物自体も2008年に一度放火により焼失しているが、修復も完了しもとの姿に戻っている。
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日本と変わらない普通の都市の風景が広がっているなか、このような表示を見ると「まだ戦争中」であることを思い出す。

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ソウル駅に到着。
赤レンガの建物とドームの屋根が東京駅を思わせる。
調べてみると、やはり東京駅を設計した辰野金吾の影響はあるようで彼の弟子の一人である塚本靖が設計に携わっているのだそう。
日本統治時代の遺構としてソウルの街を今日も見守っている。
もっとも、現在は駅機能のほとんどは画面左手にある新しい建物に譲っているようではあるが。

せっかくなので駅の中に入ってみる。
ヨーロッパも同じだが、長距離列車の乗り場は改札がなく出入り自体は自由にできる。
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KTXの列車が停車中。新型の車両のほうか。

北村韓屋村へ


さてと...
ここから地下鉄に乗り、少し移動する。
せっかくソウルに来たのだし朝鮮王朝の歴史にでも触れたい。

そう思っていた矢先。
ソウルの歴史スポット・景福宮が休館日であることを移動中に知る。

ぐぬぬ...

地下鉄3号線「景福宮」駅の一つ手前、「安国」駅で電車を降りた。
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安国駅を出て少し歩くと、「北村韓屋村」と呼ばれる地域にたどり着く。
ここは朝鮮王朝時代の王族や両班(ヤンバン)と呼ばれる貴族が住んでいた地域で、当時の伝統的な家屋が今でも残っている。
日本で言うところの金沢の武家屋敷街のようなものであろう。

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瓦屋根が並ぶ街並みは、少しばかりの懐かしさすら覚える。

チマチョゴリのレンタルもあるようで、観光客がそれを身に付けて歩いている。
京都の「舞妓さん」のようなものだろう。

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こちらは少し上流階級の邸宅だったのだろうか。広い庭がある。

ところで、この北村地区はただただ「伝統的家屋」が並んでいる、というわけではない。
それぞれの家屋には住人がいる、要するに「住宅街」なのだ。
それゆえ、押し寄せる観光客のことは良くは思っていない人も少なからずいるようである。
訪れる際はマナーを守って静かに観光したい。
もっとも、観光客もそこまで多くはなく観光地と呼ぶには静かすぎるので、そんなふうに騒げる空気でもないのだが。

韓国の鉄道が見たい


あてもなくソウルをぶらぶらしている。
今日中に国際線で次の国に移動するが、それまで時間がある。
だが、行きたいところは行ってしまった気がした。

なんとなく抱いていたもやもやがあったが、正体がわかった。
今回の旅は「鉄分」が不足しているのだ。
いつもは長距離であっても鉄道移動メインの旅行をしているが、今回は飛行機でしか移動していない。
「鉄道が足りない」
そう思った私は、「撮り鉄」でもしようとソウル近郊の「撮影地」を調べていた。

ソウル駅へ向かい、地下鉄1号線に乗る。
夕暮れの漢江を渡り新吉駅へ。
日本の鉄道系ブログでも何件か取り上げられているので、撮りやすいのだろう。
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急行線のホームからは、各地方へ向かう特急列車を見ることができる。
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KTXの列車。フランスのTGVを輸入してきた形である。
まあ、時間的にも遅めだったというのもあるが、少し暗くなってしまった。
本数は多いので、無限に楽しめる場所だとは思った。

ただ、韓国にはいわゆる「鉄オタ」文化がないらしい。
それゆえ、撮り鉄はホームで電車に向けてカメラを向ける不審者でしかない、というわけである。

もっとも、日本でもホームで電車を撮る人間の評価が韓国におけるそれと同じなのは間違いないだろうが。
韓国では鉄道も「軍事施設」なので撮影は気をつけろ、というのを聞いたことがある。
しかし、最近はそこまでピリピリしているわけでもない、とも聞く。
韓国の事情に詳しい人なら実態がわかるのだろうが、いずれにせよ、明らかに”ヤバそう”なのは撮らないようにすればいいだろう。

再び1号線で数駅移動する。
永登浦駅で降りる。
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ここは長距離路線の列車も停まる駅である。

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到着した長距離列車から降りて来る人々。
こういう風景が撮りたくてやってきた。現地の人々の「暮らし」を見るのが私は好きなのだ。
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ソウル近郊は、どの駅もホームドアがついていて地下鉄電車の撮影が難しい。
2日滞在してまともに撮れたのはこれだけである。
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ソウルにはたった2日と数時間しかいなかったが、なんだか日本の地方都市にいるような「安心感」があった。初めて来たうえ短期間しかいなかったのに、しばらく「暮らしていた」ような気分である。
個人的に、住んだこともない関西を訪れた時に抱く「安心感」に近い。

近いのになかなか訪れる機会のなかった隣国を、私は「異国」とは思えなかった。

そう思わせる居心地の良さが、この街にはあったのだ。上手く説明はできないけれど。

ピンチは突然訪れる

ソウルの夕焼け空を見つつ物思いにふけっていたところ、ふと腕時計に目がった。
18時である。

飛行機の時間が夜21時半
そこから逆算すると19時くらいには空港に着いていたい。
市内から空港までは40分。

...あれ、ヤバくね。

ここにきて、自分の状況を理解した。
そう、このままだと飛行機に乗り遅れる可能性があるのだ。

1号線は仁川に繋がっているから、このまま乗って行っても到達できるのだろうが、どれくらいの時間が掛かるのかが全く読めない。
一度ソウル駅に戻って、行きに乗った快速列車で空港に向かうことに決めた。

1号線でソウル駅へ向かい、空港行きの列車乗り場へ走る。

19時頃に乗れば19:40あたりには着くことになる。まだ大丈夫だろう。

時刻は18:55を過ぎたくらいであろうか。

窓口できっぷを購入する。
空港行き列車「AREX」は、乗車券のほかにレシート状の券が発行され、そこに列車の時刻や座席の位置が記されている。
「19:30 ソウル発 仁川国際空港行き」

ん...??

急いで時刻表を確認する。
19時台は30分が一番早い便だった。
タイミングの悪いことに、列車は18:50に出発したばかりだったのである。
なんで19時発にしないんだよ(怒

30分ほどソウル駅の待合室で何もできずに待つことしかできないのである。

乗る予定の航空会社のチェックイン締め切り時刻を調べる。
「搭乗の1時間前」だそうだ。
つまり、今回は20:30がチェックインの締め切り、ということである。
レシート状の券には「20:12着」とある。
希望はまだ、ある。

空港行きの列車は定刻にソウル駅を出発し、地下区間を出るとスピードを上げた。
流れていく窓の外の景色を眺めながら、あれこれ考える。
マカオ行きのチケットは、8000円で手に入れたものだ。
日本からマカオへ直行するよりも1万円くらい安いというだけでわざわざソウルを挟んだのだが、その作戦が失敗したら、ここで”負け”たら、私の旅は終わってしまう。

なんとしても、乗らねばと決めた。

列車のモニターには、英語で「独島は韓国の領土である」とアピールする動画が流れている。
ここまで殆ど感じられなかった「日韓の対立」をようやく感じられたのに、今はそれを”楽しむ”余裕がない。

40分ほどで空港駅に到着した。
ドアが開くと真っ先に改札へ走る。
その途上でカードをデポジット機に吸い込ませ、500ウォンを回収することにも成功した。

勝手もわからない仁川空港を走り、トロトロと歩く団体を押しのけ、出発階へとたどり着く。
「T-way」の文字を見つけ、カウンターのお姉さんにプリントアウトした紙を見せた。

時刻は20時25分だった。
お姉さんは、日本人のマカオ入国要件について調べてくれていた。
そして私の予想通り何事もないことがわかったのか、日本語で「窓側?通路側?」と聞きチケットを発券してくれたのだった。

土産物屋で韓国のりのセットを購入した私は、これまた搭乗時刻ギリギリに飛行機へと滑り込んだのであった。
T-way航空の小さな機体は、乗客の、一人の日本人が死ぬ気で飛び乗ったことも知らずにふらふらと飛び立つ。

この旅の一か国目はドタバタのうちに終わったのである。
もちろん、これは今回の旅で出会うたくさんの「ドタバタ」の一つにしかすぎないのだが...。

飛行機は3時間半かけ黄海を越え、マカオへと着陸しようとしていた。


ぼっちで韓国・ソウルに行ったら楽しかった話 おわり

ぼっちで韓国・ソウルに行ったら楽しかった話 ①

深い理由はなかったのだが、韓国に行った。

特に興味があったわけでもなければ、行かなければならない用事があったわけでもない。
強いて言うなら、中国大陸方面に行く飛行機を利用するにあたり直行便で取るよりもソウルで乗り換えたほうが安かった、というのが理由であろう。

自分で言うのもなんだけれど、ありがたいことに子供の頃から何度か海外には行かせてもらっている。
しかしながら、いずれもヨーロッパだとか北米とか、「遠く」なのである。
文化やら人種やらの違いは顕著で、子供ながらに「差異」を実感することは簡単であった。

だが、アジア圏には全く馴染みがなかった。
12時間ぐらいかけて行くところが「海外」で、2時間半飛行機に乗るだけで到着する「海外」があるのか、と思いもしていなかった。生意気なガキである。

アジアの面白さを知ったのは最近である。安くて飯がうまくて面白いし、みんな優しい。
もちろん、アジアに限った話ではないしヨーロッパにもあるものだろう。
だが、やはり地理的に近いこともあって、我々日本人にとって馴染みやすい部分が大きいのは否定できないと思う。
それを実感した3月の東南アジアの旅行の続きがしたくて、7月に取っておいたヨーロッパ行きのチケットをキャンセルして、アジアへ旅立ったのであった。

さて、ソウルの話をしよう。

韓国へは、成田空港からは約2時間半の旅であった。

19時頃に到着。
初めて降り立った「隣国」の匂いはよく覚えていない。
空港から市街へ向かう列車の駅に着くと、韓国のおばちゃんたちが何やら大声で騒いでいる。
やはり我々とは声量が違う。
と思ったのだけれど、よくよく聞いてみると
「~やねん、ほんでな、~」
「~ちゃうやろ、」
日本語、と呼ぶべきか「大阪弁」と呼ぶべきか、どうやら同じ国のパスポートを保有しているようだった。

列車は40分ほどでソウル中心部へ向かう。

ソウルでは、弘大(ホンデ)地区に2日間滞在した。
仁川空港からソウル駅へ直行する列車に乗り終点のソウル駅で降りると、どうやら「通過」してしまったらしいことを知った。

弘大地区、とは呼んでいるが、「弘益大学(ホンイク大学)」という大学周辺一帯を示していて、東京で言うところの「明大前」みたいな感じなのだろうと思った。
ソウル市中心部からは若干距離がある。
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とはいえ、飲食店が充実しているし歩いていても楽しい。

だが、一つ気づいたことがあった。
どの飲食店も「ぼっち向け」ではないのである。
考えてみれば、焼肉だとかチーズタッカルビであるとか、そういったものは二人前以上からの注文が一般的である。これは日本でも同様である。

あとで知ったのは、韓国は日本のようなおひとり様文化がないようなのだ。
到着直後だったが、一人旅をする者にとっては少しばかり居心地の悪さを感じた。

屋台のような、イートインのあるお店を発見して入る。
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トッポギは約250円だった。
親父さんは英語は通じないようだったが、指差しで購入。海外の醍醐味だ。

さて、もちろん死ぬほど辛い。
というか、マイルドな辛さ、甘いんだけどあとで辛さのほうが勝利する、といったほうがわかりやすいか。「米」が欲しかった。

そうだ、と思った。
韓国に来るのに「理由」が必要だとしたら、韓国料理を食べに来た、と言えばいいのかと思った。

というわけで、ぼっちでも楽しめるソウルの「食い倒れ」スポットを紹介したい。

①プルコギ
翌日の昼頃、弘大からは少し離れるが、明洞(ミョンドン)にある「ポンスニ(鳳順)」というお店でプルコギを食べた。
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お店の兄貴に「豚のプルコギ、辛い。牛のプルコギ、辛くない」と日本語で言われ、言われるがまま牛のプルコギを注文。
一人前を注文したのだけれど、
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なんだかめちゃくちゃ来たんですけど。
これで大体1400円ほど。美味しかったしよかったんだれども。


食事の話を続けたい。

明洞を離れ、再び弘大地区に戻る。
弘大地区は学生街とあって、リーズナブルなお店が多い。

②ビビンバ
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ビビ里」というお店。
なんとこのお店、600円でビビンバが食べ放題なんだそうだ。
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地下に下りる階段にはお店の利用方法が書かれているので安心して利用できる。

まず、お店の入り口で食券を購入する。
それをおばちゃんに渡すと、炊飯器の中から好きなだけご飯を盛りつけ、バイキング形式で並んでいる具材の中から好きなものを選んでいれることができる。味噌汁もついている。
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なんとこれが、無限に食べられるのである。
だが、まあ当たり前といえば当たり前なのだが、食べきれなくなったら罰金があるので、残さず食べられる量だけ取る必要がある。

ビビンバ食べ放題という状況に幸せを感じた私は、知ってる限りの韓国語で謝意を伝えたつもりだ。
カムサハムニダ!マシソッソヨ!」
お店のおばちゃんたちは「そうかそうか」とでも言うようににっこりと笑っていた。

③ぼっち専用韓国料理店
先ほど、韓国には「おひとり様文化」がないと述べたが、最近では「ぼっち」にも優しいお店が増えているのだという。
ここ、「マッソンソン」は「一人鍋専門店」として人気を集めている。
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立ち食いそば屋のように壁に沿ってテーブルが配置されており、各テーブルにIH器具が設置されている。
食べ方については、日本語でも書かれているので安心して食べられる。
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チゲ鍋は850円。シメのごはんまでついていて最高だ。

さて、食事の話はこのあたりにしておこう。
なんとなくお腹いっぱいになったので、別の機会に続きの話がしたい。

つづく