或る旅2

おでかけ記録です。ライブドアからはてなに移転しました

バイエルン日帰り小旅行 キーム湖へ

2017年9月

ミュンヘンに一週間ほど滞在していた。
もちろんミュンヘンも大変魅力的な街なのだが、一週間まるまるとなるとミュンヘンの外にも出たくなるものである。
今回は、以前から気になっていたキーム湖へと足を伸ばしてみようと思う。

キーム湖はミュンヘンの南東70㎞に位置する湖である。
ドイツアルプスの麓に位置する海なし州のバイエルンでは「バイエルンの海」と呼ばれているのだそう。
また、そのなかでもヘレン島にある「ヘレンキームゼー城」は、バイエルン王国の歴史の中でも面白いエピソードを持つ史跡といえる。

そんなキーム湖へはミュンヘンから鉄道で1時間ほど。
まさに小旅行といったところだろう。
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REという種別がおよそ1時間に1本の頻度で運行されている。
最近は電車化が進み、おそらくDBではない「Meridian」という会社により運行されているようだ。

さて、今回小旅行の前日ミュンヘンオスト駅のDB窓口できっぷを購入したわけだが、窓口のお姉さんに「乗車は(午前)9時以降ですか?」と訊かれ、「ん?指定?指定じゃなくて...」などという頓珍漢な返事をしてしまった。
聞くと、どうやら午前9時より早く乗車するかどうかで値段が変わるのだそうだ。
というのは、今回購入したのは「バイエルンチケット」という、いわば「フリーきっぷ」。
€27でバイエルン州内の鉄道が乗り放題になるのである(なお、券売機でも購入でき、その場合窓口よりも値段が安くなる)。
今回は別に鉄道で限界旅行、というイメージではなかったのだが、普通に往復するよりも安く行けるのだとわかった。

バイエルンチケットには記名欄があり、使用者の氏名を書くようにと書かれてある。
イタリアなどではホームの改札機でスタンプ(?)を押す必要があるが、ドイツの場合はそういった機械はなくこのような方法で改札しているのだ。

ミュンヘンオスト駅からザルツブルク行きのREに乗る。
そこから約1時間
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プリーン・アム・キームゼー(Prien am Chiemsee)駅に到着。
ここからChiemsee bahn(キームゼ―鉄道)という小さな鉄道でキーム湖へ向かう。
きっぷ売り場では、船着き場までの往復の鉄道と、島へ向かう船のセットきっぷを購入できる。

Chiemsee bahnは珍しい箱のような形の古い蒸気機関車が走っていることでも知られている。
そもそもこの鉄道自体も100年以上前に開業しており歴史がある。
今回はその機関車を見るというのも目的の一つだったのだが、
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ええ...
代走のディーゼル機関車くんが牽引するようだ。
うーむ残念。

まあいい、とりあえず乗り込んでみる。
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絵本に出て来る「汽車」という感じの小さな客車。
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遮断機のない踏切をとことこ走っていく。
速度は10㎞/hくらいだ。
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確かに速度は遅いのだけれど、結構スレスレな場所を走っているから体感速度はなかなかだ。
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1㎞くらいの短い路線で、10分程度で着いてしまった。
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終点に着くと、機関車は反対側へと回っていく。

さて、駅のホーム(というほどのものでもないが)から船着き場までは徒歩30秒といったところで、すぐに乗り換えられる。
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古いタイプの船のようだ。
キーム湖にはいくつか島があるので、念のためヘレン島へ向かうか尋ねたのだった。

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天気はあまり良くないが、穏やかな湖だ。
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ヘレン島に近づく。ヘレンキームゼー城が見える。
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ヘレン島に到着。桟橋を降りた先にはビジターセンターがある。

注意していただきたい点がある。
このビジターセンターからヘレンキームゼー城までは、徒歩15分程度の距離がある。
しかし、ヘレンキームゼー城のチケットは、船を降りてすぐのこのビジターセンターにある券売所でしか購入できない。
また、城の見学はガイドツアーのみである。
こちらの券売所で、言語を選択して(独、英、仏、露など)、チケットに書かれた時間に集合するように言われるのである。

チケットを購入したら、島内の散策路を標識に従って進んでいく。
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馬車で移動することもできる
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森の中を進んでいく。
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到着。
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ヘレンキームゼー城は、バイエルンルートヴィヒ2世により建設された城である。
ルートヴィヒ2世ルイ14世を非常にリスペクトしていた。
それゆえ、この城全体がヴェルサイユ宮殿を模倣した作りとなっている。
この運河もヴェルサイユ宮殿を思い起こさせる構造といえる。
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中央の立派な噴水も、ヴェルサイユ宮殿を真似たのだろう。

さて、時間となりいよいよ入場である。
券売所で母国語を訊かれ「日本語だ」と答えたところ、日本語の案内が書かれた紙を渡された。
母語によるガイドが無いので代わりに英語ガイドを選ぶ観光客はほかにもいたようで、同じような紙を持った人も数人混じっていた。

残念ながら、館内は撮影禁止だったので写真はない。
だが、本場ヴェルサイユ宮殿さながらの「鏡の間」、執務室や寝室、シャンデリアなど、豪華絢爛な内装には圧倒されてしまった。
また、そういった雰囲気の建物であっても、エレベーターや水洗トイレを設置するなど当時の最先端技術も導入していたというのも興味深い。

さて、ゲートから入ってすぐのところに階段があり綺麗な装飾がなされている。
ところが、もう反対側の階段は、先ほどとうってかわって未完成のままで非常に殺風景。
同じ建物だとは思えない雰囲気であった(写真がないのでこの驚きを伝えることは難しいが...)。

ここに、ルートヴィヒ2世ヘレンキームゼー城の悲しい歴史が見出せるのである。

ヘレンキームゼー城が建設されたのは、19世紀後半。
日本でいうところの明治維新とほぼ同時期である。
近代にもなって、こんな豪華絢爛な城など時代錯誤も甚だしいということは誰も疑わないであろう。

ところがルートヴィヒ2世は、このような城を他にも2つ建設しているのである。
一つは、ディズニーランドの「シンデレラ城」のモデルとしても知られるノイシュヴァンシュタイン城、そしてリンダ―ホーフ城である。
彼のいわば「中世趣味」で、このような豪華な建築のために多額の費用がバイエルン王国の予算から計上されていった。
また、当時は普墺戦争で負けたオーストリア側についたバイエルンプロイセンに賠償金を支払っていた。そんな財政状況でも構わず、彼は城を造り続けたのである。

このヘレンキームゼー城の建設中の1886年ルートヴィヒ2世は医師とともに水死体となってシュタインベルク湖で発見される。この死の詳細は未だ明らかになっていないのだという。

それをもってヘレンキームゼー城の建設もストップ。
今でも50部屋が未完成のままなのだという。

ルートヴィヒ2世は精神病だった、など様々な説がある。
いずれにせよ「生まれる時代を間違えた」ことに違いはないし、19世紀ドイツの激動の時代に感じたストレスは相当なものだったのだろう。
「シンデレラ城」ことノイシュヴァンンシュタイン城、このヘレンキームゼー城ともども、これらの”中世の王”になりたかった男の夢のあとは、バイエルン州の観光資源として後の時代のバイエルン人の役に立っているというのは何とも皮肉ではあるが、それを彼が知ったら少しは救われたりするのだろうかとも思った。

さて、ヘレンキームゼー城をあとにし、再び同じルートでプリーンへと戻る。
船は定刻より数分早く出航した。汽車との接続もスムーズであった。

が、Chiemsee Bahnの列車がPrien am Chiemsee駅に到着しようとしたとき、ミュンヘン方面の列車が発車していくのが見えたのであった…。
次の列車までは一時間ほどである。
駅で待つほかなかろう...。

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少し街に出てみた。バイエルンの田舎町といった雰囲気
こんなに綺麗な街並みだと思っていなかったので、40分くらい駅にいて大変後悔している。

ミュンヘン行きのREに乗り込み、今回の日帰り小旅行は終了とする。
バイエルンの海」には、19世紀バイエルンの王とその歴史が詰まっていたのであった...。

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