江の島・鎌倉を歩く その1
2017年9月末
神奈川県・藤沢駅に集合した某部メンバー。
”そういうサークル”なので、「撮影旅行」という称し、今回は江の島~鎌倉あたりに行こうという話になった。
今回は二日間に渡り、湘南の江の島~鎌倉を歩く。
江ノ電の一日券「のりおりくん」を購入し、江ノ電のりばへ。
藤沢駅に入ってくる鎌倉行き電車
江ノ島駅に到着
なんというか、いまいちパッとしない天気ではあるがまあ仕方ない。
"活動熱心な"部員たちが多いのでこの橋を通過するのに20分くらいを要した。
江ノ島に上陸。
神社の参道を登っていく。
江ノ島は文字通り島なので坂道もなかなかにきつい。
さて、ここから山頂までは「エスカー」を利用する。
有料のエスカレーターで、途中何度か乗り換えを要する。
立派な券売所があるが、中身は普通のエスカレーター。
日本初の屋外エスカレーターとして昭和34年に完成したそうだ。結構歴史がある。
一つ目のエスカレーターを降りると目の前には江島神社辺津宮が現れる。
そこから少し歩き、二本目のエスカレーターへ。
乗り換え地点からの眺めはなかなか
最後のエスカレーターを降りると、目の前に「サムエル・コッキング苑」の入り口がある。
この庭園の名前にもなっているサムエル・コッキングは明治時代に来日したイギリス人貿易商で、この江ノ島の山頂に庭園を造営した。特に、レンガ造りの温室(上の写真)は当時は東洋最大とも言われたようだ。
山頂の花たち。
さて、庭園を進むと「江の島シーキャンドル」が見えて来る。
エレベーターで一気に昇る。江の島シーキャンドル。
江の島の灯台は日本初の「民間灯台」で、構造物としては、このシーキャンドルは二代目にあたる。
子供の頃、一時期茅ヶ崎に住んでいた私としては一世代前の灯台の記憶もかすかに残っており、シーキャンドルになってからの江の島は新鮮だったりもした。
屋内の展望台からさらに階段を昇ると屋外展望台に出る。
この日はなかなか風が強かった。
遠くには横浜ランドマークタワーが見える。なるほど、大船~戸塚あたりは山がちの地形ではあるがそんなに”高い”わけではないということか...。
東は横浜、西は伊豆半島も見えた。結構遠くまで見えるものだ。
ここで、絶望の起床を果たした部員E氏が合流。彼は単身、はるばる静岡からこの江ノ島の展望台までやってきたのである。
さて、ここからは岩屋洞窟のほうへと進んでいく。
坂道を上ったり下ったりが多い。
膝にはくる
稚児ヶ淵。
ここはとある物語の舞台になった、いわば「曰くつき」の場所である。
鎌倉建長寺の「自休」という僧侶は、学問を学んでいた「白菊」という稚児に一目惚れをする(ちなみにどちらも男である)。自休は白菊に何度も手紙を送るも返事はなく、一方で白菊は思いを募らせる自休に追い込まれてしまう。そして白菊は悩み、ここから身を投げてしまうのであった。
それが「稚児ヶ淵」の「稚児」の由来である。
...うむ、なんともいえない悲しさのある物語である。
ちなみにこの場所、調子にのって海に近づきすぎると本当に波を被る危険があるので注意されたい。
稚児ヶ淵を進むと、岩屋洞窟にたどり着く。
中は結構暗い。
岩屋は長い年月を経て、波の浸食でできたと言われている。
洞窟は行き止まりの先にまで続いており、伝説によると、富士の樹海の氷穴と繋がっているのだという。
さて、そろそろ戻るとしよう...
猫さん
江の島を離れ、わざわざ江ノ電に乗り、鎌倉高校前へ。
映画や漫画などでよく使われる場所ともあって、多くの人が訪れていた。
日も沈み、すっかり真っ暗に。
このまま我々は藤沢で食事をとり、再び江ノ島へ戻るのであった…
つづく
神奈川県・藤沢駅に集合した某部メンバー。
”そういうサークル”なので、「撮影旅行」という称し、今回は江の島~鎌倉あたりに行こうという話になった。
今回は二日間に渡り、湘南の江の島~鎌倉を歩く。
江ノ電の一日券「のりおりくん」を購入し、江ノ電のりばへ。
藤沢駅に入ってくる鎌倉行き電車
江ノ島駅に到着
なんというか、いまいちパッとしない天気ではあるがまあ仕方ない。
"活動熱心な"部員たちが多いのでこの橋を通過するのに20分くらいを要した。
江ノ島に上陸。
神社の参道を登っていく。
江ノ島は文字通り島なので坂道もなかなかにきつい。
さて、ここから山頂までは「エスカー」を利用する。
有料のエスカレーターで、途中何度か乗り換えを要する。
立派な券売所があるが、中身は普通のエスカレーター。
日本初の屋外エスカレーターとして昭和34年に完成したそうだ。結構歴史がある。
一つ目のエスカレーターを降りると目の前には江島神社辺津宮が現れる。
そこから少し歩き、二本目のエスカレーターへ。
乗り換え地点からの眺めはなかなか
最後のエスカレーターを降りると、目の前に「サムエル・コッキング苑」の入り口がある。
この庭園の名前にもなっているサムエル・コッキングは明治時代に来日したイギリス人貿易商で、この江ノ島の山頂に庭園を造営した。特に、レンガ造りの温室(上の写真)は当時は東洋最大とも言われたようだ。
山頂の花たち。
さて、庭園を進むと「江の島シーキャンドル」が見えて来る。
エレベーターで一気に昇る。江の島シーキャンドル。
江の島の灯台は日本初の「民間灯台」で、構造物としては、このシーキャンドルは二代目にあたる。
子供の頃、一時期茅ヶ崎に住んでいた私としては一世代前の灯台の記憶もかすかに残っており、シーキャンドルになってからの江の島は新鮮だったりもした。
屋内の展望台からさらに階段を昇ると屋外展望台に出る。
この日はなかなか風が強かった。
遠くには横浜ランドマークタワーが見える。なるほど、大船~戸塚あたりは山がちの地形ではあるがそんなに”高い”わけではないということか...。
東は横浜、西は伊豆半島も見えた。結構遠くまで見えるものだ。
ここで、絶望の起床を果たした部員E氏が合流。彼は単身、はるばる静岡からこの江ノ島の展望台までやってきたのである。
さて、ここからは岩屋洞窟のほうへと進んでいく。
坂道を上ったり下ったりが多い。
膝にはくる
稚児ヶ淵。
ここはとある物語の舞台になった、いわば「曰くつき」の場所である。
鎌倉建長寺の「自休」という僧侶は、学問を学んでいた「白菊」という稚児に一目惚れをする(ちなみにどちらも男である)。自休は白菊に何度も手紙を送るも返事はなく、一方で白菊は思いを募らせる自休に追い込まれてしまう。そして白菊は悩み、ここから身を投げてしまうのであった。
それが「稚児ヶ淵」の「稚児」の由来である。
...うむ、なんともいえない悲しさのある物語である。
ちなみにこの場所、調子にのって海に近づきすぎると本当に波を被る危険があるので注意されたい。
稚児ヶ淵を進むと、岩屋洞窟にたどり着く。
中は結構暗い。
岩屋は長い年月を経て、波の浸食でできたと言われている。
洞窟は行き止まりの先にまで続いており、伝説によると、富士の樹海の氷穴と繋がっているのだという。
さて、そろそろ戻るとしよう...
猫さん
江の島を離れ、わざわざ江ノ電に乗り、鎌倉高校前へ。
映画や漫画などでよく使われる場所ともあって、多くの人が訪れていた。
日も沈み、すっかり真っ暗に。
このまま我々は藤沢で食事をとり、再び江ノ島へ戻るのであった…
つづく