アジアの南欧・マカオを歩く
前回更新から時間が空いてしまったことをお詫び申し上げたい。
さて、前回はマカオ到着直後のちょっとしたバトルについて紹介した。
今回は一日を使ってマカオの街を歩いてみようと思う。
ホテルはマカオの中心地・セナド広場に程近い場所に位置している。
それゆえここを拠点に歩いて散策することが可能なのである。
路地裏とまるで要塞化のようなアパート。こういう風景を期待していた。
マカオ名物の「エッグタルト」を頬張り、街を歩く。
どの店も10パタカ(香港ドル)程度。
大きさも、食べながら歩くにはちょうどいいサイズである。
愛想の悪い食堂で遅めの朝食を取ったところで、さっそく街歩きを始める。
...のだが、このときカメラケースをバス通りに落としたらしく、そのことに気づいたあとで再び戻ると、半年前にシンガポールで購入した保護フィルターが粉々になっていた。
なんとも幸先の悪いスタートである。
まあいいや。
マカオは、2005年に街全体が「マカオ歴史地区」として世界遺産に登録されている。
つまり、フォトジェニックな街並みが広がっているというわけである。
期待しつつ、中心部のセナド広場へと向かう。
1.セナド広場と聖ポール天主堂跡
セナド広場。
ヨーロッパに来ているのではないかと錯覚するような風景だ。
セナド広場から少し歩く。
聖ポール天主堂跡に到着した。
聖ポール天主堂は、16世紀後半から17世紀前半に建てられた教会だ。
当時、ヨーロッパ内で宗教改革が進みプロテスタントの勢力が強まっていたという状況のなかでカトリックはアジア宣教に力を入れていた。ここはその拠点としての機能を持っており、当時としてはアジア最大の規模を誇った教会だった。
カトリックだの宗教改革だの、我々日本人には馴染みが薄い単語ばかりが出ているが、ここマカオは日本人なら誰もが知るあの人物と密接に関係しているのだ。
日本にキリスト教を初めて布教したフランシスコ・ザビエルである。
思いのほか「フサフサ」ではある。
天主堂の地下には博物館があり、当時活躍した宣教師たちの像などを見ることができる。
左は恐らくイグナティウス=ロヨラ、右がザビエルである。
また、地下にはキリスト教布教の段階で殉教した日本人たちの遺骨が安置されている。
聖ポール天主堂跡では思わぬ形で日本との関わりを見出すこととなった。
天主堂跡からマカオ市街地を眺める。インパクトのあるホテルリスボアの建物。
さて、ここから少し歩いてみる。
9月中旬はマカオはまだまだ暑い。途中の商店でコーラを買う。
店番のお姉ちゃんは「あんた、どこから来たの?」と聞く。
私は「日本から」と答える。
「日本!私はインドネシアだよ」と。
いつの時代も、マカオにはアジア各地から人が集まるのだ。
2.モンテの砦とギア要塞
ちょっとした丘を登ると、「モンテの砦」に到着した。
ここはイエズス会が建設した軍事要塞で、数世紀にわたってポルトガル領マカオを守り続けた。
砲台も残されている。
小さな建物と高層ビルのちぐはぐな風景が魅力的である。
マカオの街を眺めていると、遠くに灯台らしきものが見えた。
Google先生によれば、あれはギア灯台というらしい。なんとなく気になる。
行ってみよう。
その道中の風景があまりにもヨーロッパだったので。
ここは南欧。年中を通して暖かく、太陽が照り付ける。
なーんて...
マカオは起伏が激しく、坂の上り下りも多い。
30分ほど歩く。
ギア灯台(要塞)の真下に到着。
ここはマカオで最も高い場所にあたる。
要塞は17世紀、灯台は19世紀に建てられたものだという。
高台ということもあり、もちろん眺めも良い。
これは空港方面とマカオ半島を結ぶ橋だ。
このギア要塞、下は公園となっており地元民のジョギングコースとなっている。
不思議な空間といった感じだ。
3.南欧の街並みとザビエルの「腕」
再び街に戻る。
街角にて。
ヨーロッパ的な風景とアジアの風景が一枚に収まるのもなかなかないのでは...。
こういう風景も良い。
サン・ジョセ修道院(聖ヨセフ教会)
マカオとザビエルに深い関係があることはここまで述べてきた通りだが、この教会にはザビエルの「腕」が安置されている。
ザビエルが日本をはじめアジア各地で活躍したことはご存じの通りだが、マカオでは活動していない。
1549年から1551年にかけて日本で宣教したあと、彼は日本での宣教拡大には中国文化の理解が必要だと考え、中国大陸への上陸を試みるが1552年に病死してしまう。
彼の遺骨の他の部分については地元スペイン・ナバラや活動拠点の一つだったインドのゴアなどにも安置されているという。
残念ながらこの日は、「腕」を展示している棟は閉館日だった。
だが、教会の内部は見学できた。
ヨーロッパの大聖堂を思わせる。でも考えてみれば、ヨーロッパの人たちがヨーロッパ領時代に作ったのだからヨーロッパの大聖堂なんだよな。
少し歩く。こちらは歴史地区の中心部に位置する劇場。
街が世界遺産だと言ったが、やはりどこを撮っても画になる。
4.ホテル「リスボア」
マカオといえばカジノ。
事前に調べた情報だと、
①入場料の類はかからない ②治安もそこまで悪くはない
とのこと。
せっかくなので行ってみよう。
ホテル「リスボア」のカジノ。
セナド広場の前の通りをフェリーターミナルの方向へ10分ほど歩くとたどり着く。
沢木耕太郎の『深夜特急』にも登場し主人公がカジノにのめりこむ姿が描かれている。
さっそく潜入してみよう。
ちょっとした手荷物検査とパスポートチェックを経て、中に入る。
情報通り入場料の類は一切いらなかった。
ガタイのいいガードマンが少しばかり怖いが、何事もなく入ることができた。
内部は撮影禁止なので、画像として様子をお伝えすることはできない。
中央の広間は照明が少し暗めに落とされており、円形の室内にゲームの内容ごとにテーブルが置いてある。
ディーラーは女性が多かった。
客層としては観光客然とした50~60代の人々が多く、服装や言葉から、きっと中国本土からやってきたのだろうと思われた。雰囲気は競馬場とかに近く、あまり「ギャンブル」というイメージではない。
予想外に平和な雰囲気に拍子抜けしてしまった。
ゲームに使っているとみられる機械があちこちのテーブルから「シュポ シュポ」と音を立ているのが、客らの声と共に聞こえてくる。
その楽しそうな雰囲気に、私自身もやってみたい気持ちも出てきた。
が、いかんせんルールがわからないし何より参加方法がわからない。
そして何より十分な資金がないのである...。
またマカオを訪れた際はぜひ挑戦してみたいものだ。
もちろんやりすぎには注意で...。
手前に広がる下町と奥に見えるホテルリスボアのビル。
なんだかSFチックな光景で気に入った。
5.香港へ
適当な食堂で夕食を取る。
餃子とうどん?のセット。
食堂には、マカオを襲った台風の被害が生々しく記録されていた。
香港やマカオなどの珠江デルタ地区は毎年のように台風の被害を受けている。
そういえば今回も、マカオに到着する数日前に台風が通過したばかりだったそう。
被害の爪痕が残っていた。
日も沈み、そろそろ移動する時間である。
聖ポール天主堂跡もライトアップがなされている。
夜景になったらなおさらヨーロッパ感が増した気がする
香港行きの高速船に乗ろうとしている。
フェリー乗り場は市街地から若干離れている。
ホテルで行き方を聞いたところ、「カジノの無料シャトルバスがある」とのこと。
近くのカジノからも出ているようなので移動。
カジノのシャトルバス乗り場。
なんというか、明らかに場違いなのだが、何も言われることはない。
カジノを利用していなくても無料で乗車できる。
フェリー乗り場に到着。
こちらがチケット売場。香港までは3000円程度
本数も多く、ほぼ15分おきに出ている。
高速船では飛行機のようにシートベルトを締めるように指示される。
高速船がスピードを上げ、マカオの街並みが遠ざかっていく。
香港までは1時間だ。
16~17世紀のアジアの歴史の中心だったマカオ。
その当時の面影を今でも感じることができ、歴史好きにはたまらないスポットだ。
日本からも近いので気軽に訪れることができる。
この時代に興味がある人は、行ってみたらどうだろうか。
香港については今後取り上げていきたい。