陸路でカンボジアに行った話 ③一難去ってまた一難?
―前回までのあらすじ―
バンコクから列車でタイのはずれの街・アランヤプラテートに到着した我々。
トゥクトゥクに乗り国境へ向かい、無事にタイ出国を成し遂げる。
だが、問題はカンボジアの入国である。
果たして、「賄賂を要求される」とか「悪徳業者がうろうろしてる」とか、そんな悪名高いポイぺト国境から「アライバルビザ」を取得してカンボジアに入国することができるのか...
・カンボジア入国...
国境の川を歩いて渡り、カンボジアのポイぺトに到着した我々は、少しばかり路頭に迷っていた。
ビザ取得場所がよくわからないのである。
ちなみに、トゥクトゥクで同乗したフィリピン人男性はタイ出国前に別れた。
どうやらフィリピン国籍保有者はカンボジアビザはいらないらしい。
さて、我々がうろうろしているなか、ひょろっとした男性が「ビザはこっちだよ」と示してきた。
大変怪しい。
だが、なんだって見当がつかないものだからついていくしかない。
道路を渡って反対側(上の写真の、右手側)に政府機関と思しき建物はあった。
どうやら悪徳業者ではなかったようである。
政府機関の建物といっても、プレハブ小屋のようなショボいつくりの建物である。
入ると、軍服のような姿の男性たちがうろうろしている。
書類を一通り書かされたあと、パスポートもろとも一度回収される。
そして、軍服姿の係員は
マジックペンで「30$+100B(バーツ)」と書いた紙を黙って見せてきたのであった。
これが噂の...と思いながら、「案外安く済んだもんだな」と思った。
建物内をわけもなく見渡してみる。
スマホを操作していた白人男性は、「写真を撮った」とでも疑われたのか、係員に何やら言われている。
そんななか。黒地と「日本国」と書かれた見覚えのあるパスポートを持つ人たちがいる。
って...あれ!?
日本人!?
若い男性二人のグループだった。
彼らもこちらに気づいたようである。
ビザがホチキス止めされたパスポートを受け取り、イミグレーションへ移動する。
一緒に移動しながら、いろいろ話した。
彼らもまた日本人大学生で、しかも行き先は同じシェムリアップらしい。
一人をR氏、もう一人をT氏とする。
イミグレーションはビザ申請の建物とは別になる。だが、建物のショボさは同様である。
ここでは入国カードを記入し、簡単なつくりをしたカウンターでパスポートとビザのチェック、そして指紋を取られた。
入国審査官のオッサンが、なぜか私のときだけゲラゲラと大笑いしていたのが全くもって解せなかったが、無事に入国は完了したようである。
結論から言うと、アライバルビザでもそんなに大変ではない、ということである。
もちろん、今回トラブルがなかったのは「運」がよかっただけなのかもしれないが…。
・怪しい奴らに連れられて
イミグレーションの建物を出ると、市場のような空間が広がっている。
さて、我々はこれからどうしようかということになり、少しばかり立ち止まる。
先ほど別れたと思ったフィリピン人男性とも偶然再会。また、先ほどビザを取得した場所から一緒だった白人男性もいる。
さて、シェムリアップまでどう行こうか...。
すると、現地人男性と思しき人々がどこからともなく現れる。
さきほどビザの発給場所まで案内した男性もいた。
気づくと我々は囲まれていた。
「どこまで行く?」
...日本語⁉
「シェムリアップ...」と答えと、
「バスで行く。バスターミナル、ここから10㎞ある。途中の道はアブナイから、シャトルバスに乗る」
そうして彼は、後ろに停まったバスを指さし、続けて
「バスターミナルまで、タダで乗せる」と。
大変怪しいのだが…。
彼らの話と、調べた情報を合わせると以下のようになる。
①国境の街・ポイぺトからシェムリアップまでは数百㎞の距離がある。
②ポイぺトにはバスターミナルが二つあるが、本数があるのは新ターミナル。
③だが、新ターミナルは市街地から離れた場所にある。
④今我々のいる国境から新ターミナルまでは10㎞ほどの距離があるが、国境沿いということもありその途中の道路は治安が悪いため歩くには危険である。
⑤そこで、新バスターミナルまでこの人たちが無料で送ってくれる(と主張している)
まもなく「無料シャトルバス」の発車時刻なのだそうだ。
大変怪しい...。が、歩くのも危険だ...。
囲んできた軍団の一人が英語で言ってくる。
「君たちは日本人でしょ?」
「そ、そうですけど」
「アジノモトー!オカモトー!」
「!?」
一体なんなんだ…。
我々は彼らを「味の素軍団」と呼ぶことにした。
「もう行くからとりあえず乗れ」と、我々は押しに負けてバスに乗り込んでしまった。
白人男性は、やはり信頼していなかったのかバスに乗るのを拒否。歩いてターミナルに向かうようだった。
「無料シャトルバス」はそこそこ大きなバスだった。
我々日本人4名とフィリピン人1名のほかに、前のほうに大きな黒人男性が1名乗っている。
...どう考えてもやばいやつだ
この黒人男性は一体何者なのか...。
我々は逃げられないのか…。
乗客4人と黒人男性、そして現地の男たち数人の乗ったバスは動き出したのである。
一体どこへ連れていかれるのか…
10㎞という距離をこれほど長く感じたことはない。
「まだ?」と聞くと、
「もう少しだよ」と。
が、全然着く気配がない。
車窓は、「街」から「田園風景」へと変わっていった。
ところで、黒人男性は現地男らと何やら旅行の話をしているようだ。
ただの旅行者だったようだ。
「味方だったわ」
我々は笑った。だが、肝心のバスはまだまだ走り続ける。
何分乗っただろう、バスはようやく「新ターミナル」と思しき場所へ到着した。
真っ暗だし人もいない。申し訳程度の売店とレストランのようなものがある。
チケット売り場と思われる場所に案内された。
「バスとタクシーがある」そうで、バスは一人10米ドル。
タクシーなら2時間程度だが、バスならもう少し掛かるそうだ。
乗客が集まり次第発車するとのことで、一体いつ発車するのかはよくわからない。
まあ、安いし急いでもいないのでバスにしておこう。
というわけで、バスのチケットを購入。ほかの乗客が来るまで待つことにした。
鶏も歩いている。
黒人男性は、おそらくタクシーに乗ったのだろう、どこかへ消えていった。
到着から30分か40分くらい待っただろうか、同乗すると思われる数人の白人旅行者たちが現れた。
出発するようである。
「バス」として現れた車。
どうやら、「味の素軍団」は悪徳業者ではなかったようである。
荷物を積み込み、乗客も次々と乗り込んでいく。
大きいというわけでもない車に、フルサイズの人間12人が詰め込まれているのだから決して楽ではない。
乗り込んだところで、さっきの男たちが集まってきた。
何かの最終回のような「味の素軍団」の全員集合であった。
「アジノモト―!オカモト―!」
そう言って彼らは車を見送った。
ありがとう、味の素軍団!
ところで、「オカモト」は一体なんだったのだろうか...。
このあと、味の素軍団の一人(写真真ん中の髭を生やした人物)も同乗してきた。
車は一本道を走る。
車窓に広がるのは一面の野原である。
今走っているカンボジア国道6号線は、「アジアハイウェイ」にも指定されている。
アジアハイウェイは、「現代のシルクロード」として計画されたもので、東京の日本橋を起点にこのカンボジアも経由してトルコへ向かうルートとなっている。
さて、この長い移動が退屈だったかというと決してそういうわけではない。
味の素の男性はエンドレスに話し続け、面識のなかった乗客同士も話している。
笑い声の絶えない車内だった。
特に、後ろの座席にはドイツ人カップルが座っていた。
拙いドイツ語にも付き合ってくれたのが嬉しかった。
「このあと日本にも行くんだけど、おススメの場所とかない?」
難しい質問だったが、参考になればといくつかのスポットを教えておいた。
途中、土産物屋で休憩を取る。
トイレを使おうとすると、土産物屋のオバちゃんがこう言う。
「Buy something~、何か買う~」
やはり、陸路で国境を越える日本人は少なくないのだろう。
空が広いというのが感想である。
・シェムリアップに到着
休憩から1時間もしないうちに、シェムリアップに到着した。
だが、着いたのは街外れの道路上。
トゥクトゥクの運転手が待ち構えている。
なるほど、確かにバス業者は悪徳ではなかったが、こういう形で「ビジネス」しているのだと思った。
トゥクトゥク運転手が、宿と連携して客をわざと高いところに送るという例もあるのだそうだ。
※もちろん、全てのトゥクトゥク運転手が悪徳というわけではない。
フィリピン人男性は宿を決めていたそうなので、トゥクトゥクに乗せられて行ってしまった。
さて、宿を決めていない我々は...。
「歩こう」
なんだか、そんな空気になった。
我々を狙っていたトゥクトゥク運転手は「3㎞もある、乗れ」と言う。
R氏は「ジャパニーズ、ストローング」などと連呼し、運転手を苦笑いさせた。
そして我々は本当に歩いたのだが、これが案外きついのだ。
トゥクトゥクは「ほらな」と言わんばかりにゆっくりと並走してくる。
彼がこちらを見るたびに「ジャパニーズ、ストローング」を連呼するR氏。
しばらくすると、呆れた運転手はトゥクトゥクを飛ばして消えていった。
30分ほど歩いただろうか、市街地に到着した。
とはいえ宿が決まっていない。ネットで目星をつけて探してみる。
この時点でだいぶヘトヘトではある。
路地裏で子供たちが裸足でサッカーをしている。
その風景にはなんだか感動を覚えたのだけれど、カメラを取り出す元気がなかった。
気になったものは何でも撮っていただけに、これほど感動したのにカメラを向けなかったのはこの旅では初めてだった。
宿候補1に到着するも、満室のようだった。
宿候補2をネットで見つける。
どうやら空室があるようだ。移動し、一休みする。
夜になり、我々は街に出る。
街はトゥクトゥクの客引きでいっぱいだ。
なんというか、カンボジアの客引きはマレーシアはもちろん、タイにもないような独特の「エネルギッシュ」さを感じる。不思議だ。
シェムリアップのナイトマーケット。
宿はここに程近い場所であった。
ちなみに、カンボジアでは独自の通貨「リエル」もあるが、米ドルも使える。
しかし米ドル払いでも大抵お釣りはリエルで返ってくるので注意だ。
※このリエルがとても使いにくい
ナイトマーケットからは少し離れるが、こちらのお店で夕食を取ることとなった。
5米ドルで焼肉食べ放題というとんでもない店だ。
今日出会ったばかりの仲間たちと。
そういえば、彼らと知り合ったのはついさっきなんだよな、と。
なんだかずっと一緒に旅していたみたいだ。
「危機」を共有しただけあって「絆」は強いのだ。
さて、明日はこのメンバーでアンコール遺跡を巡ることになった。
シンガポールから始まったこの旅は、最後まで一人旅のつもりだった。でも、たぶんカンボジアは一人だったらつまらなかっただろうな、と思った。
この旅で得たものは大きかった。
「陸路でカンボジアに行った話」おわり
アンコール遺跡見物については、今後記事にしたい。
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バンコクから列車でタイのはずれの街・アランヤプラテートに到着した我々。
トゥクトゥクに乗り国境へ向かい、無事にタイ出国を成し遂げる。
だが、問題はカンボジアの入国である。
果たして、「賄賂を要求される」とか「悪徳業者がうろうろしてる」とか、そんな悪名高いポイぺト国境から「アライバルビザ」を取得してカンボジアに入国することができるのか...
・カンボジア入国...
国境の川を歩いて渡り、カンボジアのポイぺトに到着した我々は、少しばかり路頭に迷っていた。
ビザ取得場所がよくわからないのである。
ちなみに、トゥクトゥクで同乗したフィリピン人男性はタイ出国前に別れた。
どうやらフィリピン国籍保有者はカンボジアビザはいらないらしい。
さて、我々がうろうろしているなか、ひょろっとした男性が「ビザはこっちだよ」と示してきた。
大変怪しい。
だが、なんだって見当がつかないものだからついていくしかない。
道路を渡って反対側(上の写真の、右手側)に政府機関と思しき建物はあった。
どうやら悪徳業者ではなかったようである。
政府機関の建物といっても、プレハブ小屋のようなショボいつくりの建物である。
入ると、軍服のような姿の男性たちがうろうろしている。
書類を一通り書かされたあと、パスポートもろとも一度回収される。
そして、軍服姿の係員は
マジックペンで「30$+100B(バーツ)」と書いた紙を黙って見せてきたのであった。
これが噂の...と思いながら、「案外安く済んだもんだな」と思った。
建物内をわけもなく見渡してみる。
スマホを操作していた白人男性は、「写真を撮った」とでも疑われたのか、係員に何やら言われている。
そんななか。黒地と「日本国」と書かれた見覚えのあるパスポートを持つ人たちがいる。
って...あれ!?
日本人!?
若い男性二人のグループだった。
彼らもこちらに気づいたようである。
ビザがホチキス止めされたパスポートを受け取り、イミグレーションへ移動する。
一緒に移動しながら、いろいろ話した。
彼らもまた日本人大学生で、しかも行き先は同じシェムリアップらしい。
一人をR氏、もう一人をT氏とする。
イミグレーションはビザ申請の建物とは別になる。だが、建物のショボさは同様である。
ここでは入国カードを記入し、簡単なつくりをしたカウンターでパスポートとビザのチェック、そして指紋を取られた。
入国審査官のオッサンが、なぜか私のときだけゲラゲラと大笑いしていたのが全くもって解せなかったが、無事に入国は完了したようである。
結論から言うと、アライバルビザでもそんなに大変ではない、ということである。
もちろん、今回トラブルがなかったのは「運」がよかっただけなのかもしれないが…。
・怪しい奴らに連れられて
イミグレーションの建物を出ると、市場のような空間が広がっている。
さて、我々はこれからどうしようかということになり、少しばかり立ち止まる。
先ほど別れたと思ったフィリピン人男性とも偶然再会。また、先ほどビザを取得した場所から一緒だった白人男性もいる。
さて、シェムリアップまでどう行こうか...。
すると、現地人男性と思しき人々がどこからともなく現れる。
さきほどビザの発給場所まで案内した男性もいた。
気づくと我々は囲まれていた。
「どこまで行く?」
...日本語⁉
「シェムリアップ...」と答えと、
「バスで行く。バスターミナル、ここから10㎞ある。途中の道はアブナイから、シャトルバスに乗る」
そうして彼は、後ろに停まったバスを指さし、続けて
「バスターミナルまで、タダで乗せる」と。
大変怪しいのだが…。
彼らの話と、調べた情報を合わせると以下のようになる。
①国境の街・ポイぺトからシェムリアップまでは数百㎞の距離がある。
②ポイぺトにはバスターミナルが二つあるが、本数があるのは新ターミナル。
③だが、新ターミナルは市街地から離れた場所にある。
④今我々のいる国境から新ターミナルまでは10㎞ほどの距離があるが、国境沿いということもありその途中の道路は治安が悪いため歩くには危険である。
⑤そこで、新バスターミナルまでこの人たちが無料で送ってくれる(と主張している)
まもなく「無料シャトルバス」の発車時刻なのだそうだ。
大変怪しい...。が、歩くのも危険だ...。
囲んできた軍団の一人が英語で言ってくる。
「君たちは日本人でしょ?」
「そ、そうですけど」
「アジノモトー!オカモトー!」
「!?」
一体なんなんだ…。
我々は彼らを「味の素軍団」と呼ぶことにした。
「もう行くからとりあえず乗れ」と、我々は押しに負けてバスに乗り込んでしまった。
白人男性は、やはり信頼していなかったのかバスに乗るのを拒否。歩いてターミナルに向かうようだった。
「無料シャトルバス」はそこそこ大きなバスだった。
我々日本人4名とフィリピン人1名のほかに、前のほうに大きな黒人男性が1名乗っている。
...どう考えてもやばいやつだ
この黒人男性は一体何者なのか...。
我々は逃げられないのか…。
乗客4人と黒人男性、そして現地の男たち数人の乗ったバスは動き出したのである。
一体どこへ連れていかれるのか…
10㎞という距離をこれほど長く感じたことはない。
「まだ?」と聞くと、
「もう少しだよ」と。
が、全然着く気配がない。
車窓は、「街」から「田園風景」へと変わっていった。
ところで、黒人男性は現地男らと何やら旅行の話をしているようだ。
ただの旅行者だったようだ。
「味方だったわ」
我々は笑った。だが、肝心のバスはまだまだ走り続ける。
何分乗っただろう、バスはようやく「新ターミナル」と思しき場所へ到着した。
真っ暗だし人もいない。申し訳程度の売店とレストランのようなものがある。
チケット売り場と思われる場所に案内された。
「バスとタクシーがある」そうで、バスは一人10米ドル。
タクシーなら2時間程度だが、バスならもう少し掛かるそうだ。
乗客が集まり次第発車するとのことで、一体いつ発車するのかはよくわからない。
まあ、安いし急いでもいないのでバスにしておこう。
というわけで、バスのチケットを購入。ほかの乗客が来るまで待つことにした。
鶏も歩いている。
黒人男性は、おそらくタクシーに乗ったのだろう、どこかへ消えていった。
到着から30分か40分くらい待っただろうか、同乗すると思われる数人の白人旅行者たちが現れた。
出発するようである。
「バス」として現れた車。
どうやら、「味の素軍団」は悪徳業者ではなかったようである。
荷物を積み込み、乗客も次々と乗り込んでいく。
大きいというわけでもない車に、フルサイズの人間12人が詰め込まれているのだから決して楽ではない。
乗り込んだところで、さっきの男たちが集まってきた。
何かの最終回のような「味の素軍団」の全員集合であった。
「アジノモト―!オカモト―!」
そう言って彼らは車を見送った。
ありがとう、味の素軍団!
ところで、「オカモト」は一体なんだったのだろうか...。
このあと、味の素軍団の一人(写真真ん中の髭を生やした人物)も同乗してきた。
車は一本道を走る。
車窓に広がるのは一面の野原である。
今走っているカンボジア国道6号線は、「アジアハイウェイ」にも指定されている。
アジアハイウェイは、「現代のシルクロード」として計画されたもので、東京の日本橋を起点にこのカンボジアも経由してトルコへ向かうルートとなっている。
さて、この長い移動が退屈だったかというと決してそういうわけではない。
味の素の男性はエンドレスに話し続け、面識のなかった乗客同士も話している。
笑い声の絶えない車内だった。
特に、後ろの座席にはドイツ人カップルが座っていた。
拙いドイツ語にも付き合ってくれたのが嬉しかった。
「このあと日本にも行くんだけど、おススメの場所とかない?」
難しい質問だったが、参考になればといくつかのスポットを教えておいた。
途中、土産物屋で休憩を取る。
トイレを使おうとすると、土産物屋のオバちゃんがこう言う。
「Buy something~、何か買う~」
やはり、陸路で国境を越える日本人は少なくないのだろう。
空が広いというのが感想である。
・シェムリアップに到着
休憩から1時間もしないうちに、シェムリアップに到着した。
だが、着いたのは街外れの道路上。
トゥクトゥクの運転手が待ち構えている。
なるほど、確かにバス業者は悪徳ではなかったが、こういう形で「ビジネス」しているのだと思った。
トゥクトゥク運転手が、宿と連携して客をわざと高いところに送るという例もあるのだそうだ。
※もちろん、全てのトゥクトゥク運転手が悪徳というわけではない。
フィリピン人男性は宿を決めていたそうなので、トゥクトゥクに乗せられて行ってしまった。
さて、宿を決めていない我々は...。
「歩こう」
なんだか、そんな空気になった。
我々を狙っていたトゥクトゥク運転手は「3㎞もある、乗れ」と言う。
R氏は「ジャパニーズ、ストローング」などと連呼し、運転手を苦笑いさせた。
そして我々は本当に歩いたのだが、これが案外きついのだ。
トゥクトゥクは「ほらな」と言わんばかりにゆっくりと並走してくる。
彼がこちらを見るたびに「ジャパニーズ、ストローング」を連呼するR氏。
しばらくすると、呆れた運転手はトゥクトゥクを飛ばして消えていった。
30分ほど歩いただろうか、市街地に到着した。
とはいえ宿が決まっていない。ネットで目星をつけて探してみる。
この時点でだいぶヘトヘトではある。
路地裏で子供たちが裸足でサッカーをしている。
その風景にはなんだか感動を覚えたのだけれど、カメラを取り出す元気がなかった。
気になったものは何でも撮っていただけに、これほど感動したのにカメラを向けなかったのはこの旅では初めてだった。
宿候補1に到着するも、満室のようだった。
宿候補2をネットで見つける。
どうやら空室があるようだ。移動し、一休みする。
夜になり、我々は街に出る。
街はトゥクトゥクの客引きでいっぱいだ。
なんというか、カンボジアの客引きはマレーシアはもちろん、タイにもないような独特の「エネルギッシュ」さを感じる。不思議だ。
シェムリアップのナイトマーケット。
宿はここに程近い場所であった。
ちなみに、カンボジアでは独自の通貨「リエル」もあるが、米ドルも使える。
しかし米ドル払いでも大抵お釣りはリエルで返ってくるので注意だ。
※このリエルがとても使いにくい
ナイトマーケットからは少し離れるが、こちらのお店で夕食を取ることとなった。
5米ドルで焼肉食べ放題というとんでもない店だ。
今日出会ったばかりの仲間たちと。
そういえば、彼らと知り合ったのはついさっきなんだよな、と。
なんだかずっと一緒に旅していたみたいだ。
「危機」を共有しただけあって「絆」は強いのだ。
さて、明日はこのメンバーでアンコール遺跡を巡ることになった。
シンガポールから始まったこの旅は、最後まで一人旅のつもりだった。でも、たぶんカンボジアは一人だったらつまらなかっただろうな、と思った。
この旅で得たものは大きかった。
「陸路でカンボジアに行った話」おわり
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