或る旅2

おでかけ記録です。ライブドアからはてなに移転しました

見に行ける北朝鮮 烏頭山(オドゥサン)統一展望台に行こう!

2018年9月18日。
韓国の首都・ソウル。
東アジア有数の大都市であるこの街は、韓国の政治や経済、文化の中心として世界的に広く知られている。最近では韓流ブームなどの広まりで、この街を訪れる人の数も増えているように思える。

一方で、韓国は政治的には決して「問題が無い」とは言い切れない状況にある。
それは、ご存じの通り北朝鮮の問題である。
現在は戦闘行為こそ行われていないものの、1950年に始まった「朝鮮戦争」それ自体は「休戦」状態にある。
そのため韓国では徴兵が実施されている、ということは有名であろう。
また、我々観光客の目に見えるものでいえば地下鉄の駅が「シェルター」として機能していたりと、ところどころ「戦時中」であることを思わせるものが散見される。

さて、そんな朝鮮半島の「分断」を体感できる場所が、ソウルから公共交通機関を利用して2時間で到達できるところにある。

「烏頭山(オドゥサン)統一展望台(오두산 통일전망대)」は、韓国人・外国人を問わず、誰でも自由に北朝鮮を見ることができるスポットである。
まずは写真をご覧いただきたい。
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漢江とイムジン川の合流地点。
その向こう側が北朝鮮である。

この展望台は北朝鮮からわずか2㎞の地点に位置しており、気軽に行ける場所としては韓国では最も近い場所なのではないかと思う。
「気軽に行ける場所としては」と限定したのは、「DMZツアー」として板門店軍事境界線を探索するツアーも存在するが当然ながら(自由な写真撮影ができないなど)制約が多かったり危険が伴う、という点で少しばかり気軽さを欠くからである(むろん、行けないことはないし、価値は十分にあると思うが)。

こちらの展望台では、身分証の提示どころか写真撮影も自由である。

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もう少し拡大してみる。
白く無機質な建物が、北朝鮮の民家である。
遠くには険しくそびえる山々を見ることができる。
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こちらは展望台に設置されていた望遠鏡にスマートフォンをつけて撮影した。
運がよければ自転車や徒歩で移動する北朝鮮の人々の姿を眺めることができるそうだ。
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手前(右手側)に見えるのは韓国の高速道路。
奥のほうには川幅が狭くなっている場所がある。ここが最も接近している場所なのだそうで、なんと460mしかないらしい。
川岸が「限界線」として設定されており、川沿いには鉄条網が張り巡らされている。

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少し視点を変えて。後ろを振り向くと、韓国の街並みを見ることができる。
ソウル近郊の、高層マンションが立ち並び、鉄道や高速道路が張り巡らされた景色である。

一方、その反対側には北朝鮮の貧しい村が見える。
たった2㎞しか離れていないのに、と思った。

その時、一羽の鳥が川を渡って北へ向かって飛んでいくのが見えた。

「国境線」なんて、人間が勝手に引いたものなのだと感じさせる出来事だった。
その点、「行けない」という不自由を自ら生み出した人間よりも鳥の方が自由なのかもしれない。
そしてその「分断」の悲劇を、より悲劇たらしめるものは彼らが同じ民族なのであるという事実だ。

展望台ではそんなことを思いながら、下の階へ移動する。

1階には、朝鮮半島の歴史や歴代大統領の統一への姿勢、北朝鮮の生活などについての展示がなされていた。もっとも、韓国語での表示しかない部分もあったのでわからないところも多かったが。
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どうやら、統一したあかつきにはソウルから平壌を経てパリへと向かうKTX列車を走らせる、というのが願いらしい。これについては、できるかなぁ...。

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展望台の建物。
内部では、北朝鮮に関するVTRも見ることができ、日本語も選択できる。
ちなみに韓国では朝鮮半島を「韓半島」、北朝鮮を「北韓」と呼ぶらしい。

さて、ここまでは展望台そのものについて触れてきたが、ここからはそこへの行き方について触れる。

私が利用したのは二通りのルートである。
行き:京義中央線の「金村駅」から「900番」のバスを利用
帰り:「2000番」のバスで地下鉄「合井駅」へ

行きの方法

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金村駅。
私が滞在した弘大周辺からも、地下鉄から乗り換え1回でアクセスできた。
ソウル都心からは40~50分くらい?

ここから、市バスの900番に乗り換える。
とはいえ案内表示の類は一切ないので聞きまくる。

駅の前には、鉄道と平行に大通りが走っている。
そこに駅前バスターミナルがあるのだが、「駅とは反対側のバス停」に停まる900番に乗ること。

このバスは、もちろん英語放送などというサービスはないローカルバスである。
運転手に予め「展望台に行きたい」と必死に訴えておいたおかげで、展望台最寄りのバス停で「ここだぞ」と教えてくれた。
もっとも、そのバスの終点だったようであるが。

市バスを降りると、広いパーキングエリアのような場所に着く。
そこでは展望台行きの無料シャトルバスが停まっており、運転手が暇そうに乗客を待っている。
「展望台か?」と聞かれ、「そう」と答えると、「待ってました」とでも言うようにバスに乗るように促される。これで、無事に展望台に向かうことができる。


帰りの方法
帰りであるが、どうやらソウル都心に直行できるバスがあるようなので、そちらに乗っていこうということに。

先ほどシャトルバスに乗った場所から、900番のバスで来た方向へと約1㎞ほど歩く。
広い交差点を左に曲がる。
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こちらのバス停から「2000番」に乗る。
1時間ほど?だった。寝ていたのでよく覚えていない。
都心に直行するので非常にありがたかった。

なお、2000番や市バスもICカード「T-money」の利用が可能だった。
たくさんチャージしておけば交通費であわあわする心配もないのでおすすめである。


「韓流ファン」じゃないと楽しめないかと思っていた韓国であるが、こういった歴史や社会について考えることのできる場に気軽に行けるという点で良いと思った。

関係はないが、奇しくもこの日(2018年9月18日)は南北首脳会談が行われていた。
非常に「ホットな場所」に行けてよかったと思う。

北朝鮮と聞くと危険なイメージがあるかもしれないが、この展望台自体は非常に安全だと強調したい。
北朝鮮が見えるということを抜きにしても景色が綺麗だし、その目的で来ても良いかもしれない。

実際に韓国世論が「統一」を望んでいるかはわからないが、いずれにせよ、問題が平和的に解決し、この場所が「絶景スポット」や「歴史資料館」になればよいのにと思う。

一晩で四日市を「撮り尽くす」

工場夜景

複雑な配管とそれを照らす蛍光灯の光。
それが生み出す力強く繊細な風景が、世間の人々の心を掴んでいる。

私も例外ではない。
名古屋市南部の金城ふ頭からのコンビナートの眺めや、富士市内や首都高湾岸線から見える工場の景色には少なからず感動を覚えたものである。

同じ大学のN本くん(仮名)も同様であったが、私以上であった。
彼は、それ専門の写真集というものも持っていたのである。

そんな「工場夜景」の虜になった我々は、8月の定期試験前よりある計画を立てていたのであった。

三重県四日市市、日本における「工場夜景」のメッカたるその街に行こう。

そんなわけで、レンタカーを予約した我々は、2018年の8月上旬のある午後、静岡を発ち西へと向かったのであった。

私自身は免許がないので、空いているからという理由だけで特に工場にも興味がないI上氏(仮名)を運転要員として連れ出した。ついでに、当日岐阜の実家に帰ろうとしていたM浦氏(仮名)も「西に行くから」という理由だけで来てもらった。

前日15時発、翌日12時着という強行スケジュール。
だが、安全を考慮し休憩を挟んでも、四日市には3~4時間もあれば到着するので全く余裕であった。

なお、今回は四日市市内の複数のスポットについて取り上げている。
一番最後に立ち寄った場所をGoogleマップにまとめているので参照されたい。
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豊田JCT
東名から伊勢湾岸道に入る
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刈谷で休憩。

名港トリトンを渡ると三重県に入る。
M浦氏を養老鉄道の始発駅・桑名駅に降ろす。この時点で20時であった。
第一の目的地・「うみてらす」を目指す。閉館時間は21時ということで、先を急ぐ。

20時半。「うみてらす14」に滑り込む。

①うみてらす14
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展望室からの眺め。目の前がコンビナートである。
同じように写真を撮りに来た人も少なくなかった。
そしてそれを想定してか写真を撮りやすいよう、暗幕の貸し出しもあった。
閉館10分前には展望室内のライトダウンというサービスも。

もう少しゆっくりしたかったが、閉館時間となり吐き出される我々。

今度は遠くから撮ってみようということで、少し離れたところにある垂坂公園へと移動。
駐車場から展望台までは軽い山登り。森の中だが、街灯などはないので懐中電灯が必要だ。

②垂坂公園展望台
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展望台からの眺め。

コンビナートはもちろんだが、伊勢湾の対岸にある知多半島の街並みも見られる。
中部国際空港も近いので、離着陸する飛行機の姿も目に入る。
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四日市市街地遠景

22時頃で真っ暗ではあったが、人々の出入りは案外あった。
夜景目当てであろう。

さて、再び車で移動する。今度は四日市ドームなどのある「霞ヶ浦緑地公園」である。

霞ヶ浦緑地公園
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このスポットは、コンビナートが非常に近くで撮れることで知られている。
水面に映るところも大変よい。
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月も出てきた。
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ヨットとコンビナート
大変エモーショナルである。

午前0時頃。次のスポットへ移る。
少し南下し、大正橋エリアへとやってきた。

④大正橋エリア
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霞ヶ浦緑地よりも近い。
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15秒動かないのは結構難しい。
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少しポイントを移動。とてもよい。
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ところでこの大正橋エリア、反対側を向くとコスモ石油の製油所の出荷場になっているようで、各社のタンクローリーが発着していた。ここから各地のガソリンスタンドへと運ばれていくのだ。
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タンクローリーの発車時刻がわからなかったのでカメラを向けるタイミングが難しい。
複数台が一度に発車するようである。
午前2時ごろである。

さて、今度はもっと南下し塩浜地区へと向かう。

⑤塩浜地区
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ここはコンビナートが至近距離で撮影できるポイントとして知られている。
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いやー、よい
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この複雑にパイプやはしごが複雑に絡み合う感じがいい
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さて、お気づきの方もおられるかと思うが、実はこの時点で東の空がだいぶ明るくなってきている。
午前4時だ。
我々はオールしてしまったのである。

今日中に静岡に帰る必要があるが、少なくとも休憩は必要。
ということで、日帰り温泉施設「おふろcafe」に立ち寄ることに。

数時間仮眠ののち、車でそのまま静岡へ。
午前12時には解散という、すさまじいスケジュールであった。

I上氏は被害者でしかないが、N本くんも私も十分満足できた。
同行した皆さん、あとM浦氏、お疲れ様でした。

今回立ち寄った場所。全て公道や公園などから撮影、私有地や立ち入り禁止区画には侵入していない。

陸路でカンボジアに行った話 ③一難去ってまた一難?

―前回までのあらすじ―
バンコクから列車でタイのはずれの街・アランヤプラテートに到着した我々。
トゥクトゥクに乗り国境へ向かい、無事にタイ出国を成し遂げる。
だが、問題はカンボジアの入国である。
果たして、「賄賂を要求される」とか「悪徳業者がうろうろしてる」とか、そんな悪名高いポイぺト国境から「アライバルビザ」を取得してカンボジアに入国することができるのか...

カンボジア入国...
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国境の川を歩いて渡り、カンボジアのポイぺトに到着した我々は、少しばかり路頭に迷っていた。
ビザ取得場所がよくわからないのである。
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ちなみに、トゥクトゥクで同乗したフィリピン人男性はタイ出国前に別れた。
どうやらフィリピン国籍保有者はカンボジアビザはいらないらしい。

さて、我々がうろうろしているなか、ひょろっとした男性が「ビザはこっちだよ」と示してきた。
大変怪しい。
だが、なんだって見当がつかないものだからついていくしかない。

道路を渡って反対側(上の写真の、右手側)に政府機関と思しき建物はあった。
どうやら悪徳業者ではなかったようである。

政府機関の建物といっても、プレハブ小屋のようなショボいつくりの建物である。

入ると、軍服のような姿の男性たちがうろうろしている。
書類を一通り書かされたあと、パスポートもろとも一度回収される。

そして、軍服姿の係員は
マジックペンで「30$+100B(バーツ)」と書いた紙を黙って見せてきたのであった。

これが噂の...と思いながら、「案外安く済んだもんだな」と思った。

建物内をわけもなく見渡してみる。
スマホを操作していた白人男性は、「写真を撮った」とでも疑われたのか、係員に何やら言われている。

そんななか。黒地と「日本国」と書かれた見覚えのあるパスポートを持つ人たちがいる。

って...あれ!?
日本人!?

若い男性二人のグループだった。
彼らもこちらに気づいたようである。

ビザがホチキス止めされたパスポートを受け取り、イミグレーションへ移動する。

一緒に移動しながら、いろいろ話した。
彼らもまた日本人大学生で、しかも行き先は同じシェムリアップらしい。
一人をR氏、もう一人をT氏とする。

イミグレーションはビザ申請の建物とは別になる。だが、建物のショボさは同様である。
ここでは入国カードを記入し、簡単なつくりをしたカウンターでパスポートとビザのチェック、そして指紋を取られた。
入国審査官のオッサンが、なぜか私のときだけゲラゲラと大笑いしていたのが全くもって解せなかったが、無事に入国は完了したようである。

結論から言うと、アライバルビザでもそんなに大変ではない、ということである。
もちろん、今回トラブルがなかったのは「運」がよかっただけなのかもしれないが…。

・怪しい奴らに連れられて
イミグレーションの建物を出ると、市場のような空間が広がっている。
さて、我々はこれからどうしようかということになり、少しばかり立ち止まる。
先ほど別れたと思ったフィリピン人男性とも偶然再会。また、先ほどビザを取得した場所から一緒だった白人男性もいる。

さて、シェムリアップまでどう行こうか...。
すると、現地人男性と思しき人々がどこからともなく現れる。
さきほどビザの発給場所まで案内した男性もいた。

気づくと我々は囲まれていた。

「どこまで行く?」

...日本語⁉

シェムリアップ...」と答えと、
「バスで行く。バスターミナル、ここから10㎞ある。途中の道はアブナイから、シャトルバスに乗る」
そうして彼は、後ろに停まったバスを指さし、続けて
「バスターミナルまで、タダで乗せる」と。
大変怪しいのだが…。

彼らの話と、調べた情報を合わせると以下のようになる。

①国境の街・ポイぺトからシェムリアップまでは数百㎞の距離がある。
②ポイぺトにはバスターミナルが二つあるが、本数があるのは新ターミナル。
③だが、新ターミナルは市街地から離れた場所にある。
④今我々のいる国境から新ターミナルまでは10㎞ほどの距離があるが、国境沿いということもありその途中の道路は治安が悪いため歩くには危険である。
⑤そこで、新バスターミナルまでこの人たちが無料で送ってくれる(と主張している)

まもなく「無料シャトルバス」の発車時刻なのだそうだ。

大変怪しい...。が、歩くのも危険だ...。

囲んできた軍団の一人が英語で言ってくる。
「君たちは日本人でしょ?」
「そ、そうですけど」
「アジノモトー!オカモトー!」
「!?」

一体なんなんだ…。
我々は彼らを「味の素軍団」と呼ぶことにした。

「もう行くからとりあえず乗れ」と、我々は押しに負けてバスに乗り込んでしまった。

白人男性は、やはり信頼していなかったのかバスに乗るのを拒否。歩いてターミナルに向かうようだった。
「無料シャトルバス」はそこそこ大きなバスだった。
我々日本人4名とフィリピン人1名のほかに、前のほうに大きな黒人男性が1名乗っている。

...どう考えてもやばいやつだ

この黒人男性は一体何者なのか...。
我々は逃げられないのか…。

乗客4人と黒人男性、そして現地の男たち数人の乗ったバスは動き出したのである。
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一体どこへ連れていかれるのか…

10㎞という距離をこれほど長く感じたことはない。
「まだ?」と聞くと、
「もう少しだよ」と。

が、全然着く気配がない。
車窓は、「街」から「田園風景」へと変わっていった。

ところで、黒人男性は現地男らと何やら旅行の話をしているようだ。
ただの旅行者だったようだ。

「味方だったわ」
我々は笑った。だが、肝心のバスはまだまだ走り続ける。

何分乗っただろう、バスはようやく「新ターミナル」と思しき場所へ到着した。
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真っ暗だし人もいない。申し訳程度の売店とレストランのようなものがある。

チケット売り場と思われる場所に案内された。
「バスとタクシーがある」そうで、バスは一人10米ドル。
タクシーなら2時間程度だが、バスならもう少し掛かるそうだ。

乗客が集まり次第発車するとのことで、一体いつ発車するのかはよくわからない。

まあ、安いし急いでもいないのでバスにしておこう。
というわけで、バスのチケットを購入。ほかの乗客が来るまで待つことにした。

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鶏も歩いている。

黒人男性は、おそらくタクシーに乗ったのだろう、どこかへ消えていった。

到着から30分か40分くらい待っただろうか、同乗すると思われる数人の白人旅行者たちが現れた。
出発するようである。
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「バス」として現れた車。

どうやら、「味の素軍団」は悪徳業者ではなかったようである。

荷物を積み込み、乗客も次々と乗り込んでいく。
大きいというわけでもない車に、フルサイズの人間12人が詰め込まれているのだから決して楽ではない。

乗り込んだところで、さっきの男たちが集まってきた。
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何かの最終回のような「味の素軍団」の全員集合であった。
「アジノモト―!オカモト―!」
そう言って彼らは車を見送った。

ありがとう、味の素軍団!
ところで、「オカモト」は一体なんだったのだろうか...。

このあと、味の素軍団の一人(写真真ん中の髭を生やした人物)も同乗してきた。
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車は一本道を走る。
車窓に広がるのは一面の野原である。

今走っているカンボジア国道6号線は、「アジアハイウェイ」にも指定されている。
アジアハイウェイは、「現代のシルクロード」として計画されたもので、東京の日本橋を起点にこのカンボジアも経由してトルコへ向かうルートとなっている。

さて、この長い移動が退屈だったかというと決してそういうわけではない。
味の素の男性はエンドレスに話し続け、面識のなかった乗客同士も話している。
笑い声の絶えない車内だった。

特に、後ろの座席にはドイツ人カップルが座っていた。
拙いドイツ語にも付き合ってくれたのが嬉しかった。
「このあと日本にも行くんだけど、おススメの場所とかない?」
難しい質問だったが、参考になればといくつかのスポットを教えておいた。

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途中、土産物屋で休憩を取る。
トイレを使おうとすると、土産物屋のオバちゃんがこう言う。
「Buy something~、何か買う~」
やはり、陸路で国境を越える日本人は少なくないのだろう。
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空が広いというのが感想である。


シェムリアップに到着
休憩から1時間もしないうちに、シェムリアップに到着した。
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だが、着いたのは街外れの道路上。

トゥクトゥクの運転手が待ち構えている。
なるほど、確かにバス業者は悪徳ではなかったが、こういう形で「ビジネス」しているのだと思った。

トゥクトゥク運転手が、宿と連携して客をわざと高いところに送るという例もあるのだそうだ。
※もちろん、全てのトゥクトゥク運転手が悪徳というわけではない。

フィリピン人男性は宿を決めていたそうなので、トゥクトゥクに乗せられて行ってしまった。

さて、宿を決めていない我々は...。

「歩こう」
なんだか、そんな空気になった。
我々を狙っていたトゥクトゥク運転手は「3㎞もある、乗れ」と言う。

R氏は「ジャパニーズ、ストローング」などと連呼し、運転手を苦笑いさせた。

そして我々は本当に歩いたのだが、これが案外きついのだ。
トゥクトゥクは「ほらな」と言わんばかりにゆっくりと並走してくる。
彼がこちらを見るたびに「ジャパニーズ、ストローング」を連呼するR氏。

しばらくすると、呆れた運転手はトゥクトゥクを飛ばして消えていった。

30分ほど歩いただろうか、市街地に到着した。
とはいえ宿が決まっていない。ネットで目星をつけて探してみる。

この時点でだいぶヘトヘトではある。
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路地裏で子供たちが裸足でサッカーをしている。
その風景にはなんだか感動を覚えたのだけれど、カメラを取り出す元気がなかった。
気になったものは何でも撮っていただけに、これほど感動したのにカメラを向けなかったのはこの旅では初めてだった。

宿候補1に到着するも、満室のようだった。

宿候補2をネットで見つける。
どうやら空室があるようだ。移動し、一休みする。

夜になり、我々は街に出る。
街はトゥクトゥクの客引きでいっぱいだ。

なんというか、カンボジアの客引きはマレーシアはもちろん、タイにもないような独特の「エネルギッシュ」さを感じる。不思議だ。

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シェムリアップのナイトマーケット。
宿はここに程近い場所であった。

ちなみに、カンボジアでは独自の通貨「リエル」もあるが、米ドルも使える
しかし米ドル払いでも大抵お釣りはリエルで返ってくるので注意だ。
※このリエルがとても使いにくい

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ナイトマーケットからは少し離れるが、こちらのお店で夕食を取ることとなった。
5米ドルで焼肉食べ放題というとんでもない店だ。
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今日出会ったばかりの仲間たちと。

そういえば、彼らと知り合ったのはついさっきなんだよな、と。
なんだかずっと一緒に旅していたみたいだ。
「危機」を共有しただけあって「絆」は強いのだ。

さて、明日はこのメンバーでアンコール遺跡を巡ることになった。

シンガポールから始まったこの旅は、最後まで一人旅のつもりだった。でも、たぶんカンボジアは一人だったらつまらなかっただろうな、と思った。


この旅で得たものは大きかった。


「陸路でカンボジアに行った話」おわり

アンコール遺跡見物については、今後記事にしたい。

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陸路でカンボジアに行った話 ②ローカル列車で東へ

―前回までのあらすじ―
アンコール・ワットを見るべく陸路でカンボジアに行くことになった我々は、、ビザの事前取得に失敗しアライバルビザ取得を余儀なくされることに。恐ろしく評判の悪いポイぺト国境からのカンボジア入国を目指している。

5:55発の普通列車(タイ国鉄の英語表記:
Ordinary Train)でタイ東部のアランヤプラテートに移動する。

当日は予定通り起きることができた。
ファランボーン駅付近のセブンイレブンで食料を調達。どういうわけか日本のコンビニおにぎりやお茶もある。なお、お茶は「ノンシュガー」と書いてあるものを選ぶ必要がある。
東南アジアでは日本茶であろうが容赦なく砂糖を入れてくるのだ。

・ローカル列車で移動
きっぷは当日に購入。
250㎞以上、時間にして5時間以上も走る長距離路線だが、運賃はなんと48バーツ(約144円)と破格の値段である。
6番線ホームに向かうと、列車はすでに入線していた。
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外はまだ暗い。
列車は案外長い。何両あるのかは数えていないが…。
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6時前。列車が動き出す頃になると、東の空はすっかり明るくなってきていた。
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バンコク近郊の通勤通学時間帯なのだろう。すれ違う列車にも乗客が満載であった。
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カチャカチャカチャ...車掌がハサミをもって検札にまわる。
現代の日本では見られない、祖父母の話だとか小説だとかのなかでしか見たことのない風景だった。
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バンコク最大の空港、スワンナプーム国際空港のすぐそばを走る。空港アクセス列車ともこの辺りで分岐する。
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バンコクからもすっかり離れ、辺りは田園風景が広がる。
すっきりとした晴れ空が気持ち良い。
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車内には冷房などない。だが、窓は全開。
自然の風が入ってきて、これがまた心地よいのである。
マレーシアの鉄道は、設備は綺麗で冷房完備だったけれど、効きすぎていて寒いくらいだった。
タイの鉄道は車両も古いうえレールの状態もよろしくはなく、お世辞にも「整備されている」とは言えないが、マレーシアよりも快適ではあった。
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途中駅にて。ホームにいる物売りに乗客が窓から注文して、窓越しに商品を渡す。
これも、祖父母に言わせてみれば昔の日本ではよくあった光景なのだそう。
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私も、バンコクで買った怪しいおにぎりたちを食べてみる。
味は案外悪くなかった。

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走行中の列車のドアは開きっぱなし。落ちないように気を付けなければならない。
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列車は、どこまでも無限に広がる平野をひたすら進んでいく。
バンコクを出てからというものM氏は爆睡していた。この辺でようやく目を覚ます。
列車のなかでいろいろ話していたけれど、そういえば一昨日出会ったばかりなのだと思い出す。
最初から友達と旅していたような、そんな「錯覚」があった。
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乗客は地元民もいるが、どちらかというと我々のようなバックパッカーの姿が目立つ。
地元民らしき老人が、白人バックパッカーに英語を教えてもらうのが見えた。

今はその面影などないが、かつてこの路線はインドシナ鉄道という国際路線だったのである。
実際、国境を越える目的で乗っている者が多いということから、今でも国際列車だ、と言えなくもないが…

列車は減速を始める。まもなく終点のアランヤプラテートだ。

・アランヤプラテートに到着、タイ出国へ
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終点アランヤプラテートに到着。
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大きな荷物を持ったバックパッカーがぞろぞろと降りて来る。
駅前には乗り合いバスや、トゥクトゥクが待ち構えている。

どうしようかとなったときである。
M氏が見知らぬ人物を連れてきた。昨夜バンコクで同じ宿にいたフィリピン人男性なのだそう。
3人で割り勘でトゥクトゥクに乗ろうということに。
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「国境まで」と言うと、
「はいよ」と。

実は、ここでも「運任せ」みたいなところがあった。
トゥクトゥクの運転手が悪徳ビザ代行業者と手を組んでいる可能性があるのである。
「お前、ビザ取ってるか?取ってないなら、できる場所へ連れてってやるよ」というのが手口なのだそう。

幸いにもこの運転手さんは良い人だったようで、きちんと国境まで連れて行ってくれた。
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本来ならバンコクから繋がっているはずの線路。この先カンボジアまで繋がっている。
国境を越える列車が復活するとかしないとか、話は聞くが、実際どこまで進んでいるのだろう...。
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いよいよ国境ゲートである。タイを出国する。
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出国を終えると、いよいよ国境越えだ。
国境の橋を渡る。カンボジアの国旗とゲートが見える。

カンボジア領に入ると、「ビザ~ビザ~」と我々を狙う見るからに怪しい代行業者がうろうろしている。逆にあんなのに騙される客が今時いるのだろうかと疑問には思った。

正規のビザを取得すべく、政府機関の施設に向かう。

果たして無事にビザを取得できるのか…

つづく
 
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陸路でカンボジアに行った話 ①旅の準備

2018年3月末

ーここまでのあらすじ―
東南アジアを旅していた私は、途中のマレーシアの宿でカンボジアに行くことを決意。
その後乗り込んだタイの寝台列車の車内で出会った日本人大学生M氏(ノープラン旅行中)に「カンボジアに行きませんか」と提案したところ、なぜか快諾。
ともにカンボジアを目指すことになったのである。

この話は、マレー鉄道の旅の終点・タイの首都バンコクから始まる。

カンボジアのアライバルビザがヤバいらしい
さて、カンボジアの入国にはビザが必要になる、ということは事前に調べていた。
むろん入国前に取得しているのがベストである。
だが、アライバルビザという制度もあり、入国時に同時にビザ申請することも可能だという。

カンボジアの空港などでの申請は簡単らしい。
が、今回通過する予定のポイぺト国境についてはそうもいかないらしい。

運が悪ければ6000円ぐらいぼったくられる
賄賂を請求される
審査官の小遣い稼ぎになっている
黙って従うしかない
怪しい代行業者に騙されるな

などなど、先人たちのブログを覗くと、そんな恐ろしい文章がたくさん見受けられる。
この対処法としては
「日本で取得する」
バンコクカンボジア大使館で取得する」
などが挙げられていた。これについては、海外旅行のバイブル『地球の歩き方』も同様の見解だった。

さて、今朝10時にバンコクに到着した我々は、明朝5時発の列車でカンボジアに面したタイの街アランヤプラテートへ向かうことに決めていた。
要するに、事前準備は今日中に済ませなければならないのである。

さて、この日の計画は
①タイバーツへ両替
②証明写真の撮影
カンボジア大使館でビザ取得
という形である。

さて、タイバーツを持ち合わせていなかった我々は、レートが良いと評判の両替屋へ。

「VASU EXCHANGE」は、BTSのナナ駅のそばにある。
スクンビット地区なのでアクセスも良い。アソーク駅から見て大通りの右側(ターミナル21側)の歩道を西のほうに歩いていくと右手に見えるはずだ。

レートがよいと評判なのだろう、日本人もたくさんいた。
中華系と思われる店員さんも「えー、5000エン?」と日本語だったし、慣れているのだろう。

両替をしたあと証明写真を撮って、いざ大使館...と思っていたが…。
ここでの待ち時間、とんでもない情報を目にする。
カンボジア大使館でのビザ取得は12時まで」
現在時刻は12時をとっくに回り、すっかり午後といったところである。

要するに、この時点でビザの事前取得に失敗し、アライバルビザ以外の道が無くなったのである

絶望する我々。

とりあえず、証明写真だけでも撮ろうということに。
アライバルビザを取得するにしても、証明写真があるとスムーズに進められるらしい。

スクンビットの中心部、ターミナル21に移動

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東南アジアという感じの交差点である。

証明写真はターミナル21の3階にある「Photo in CHIC」というお店で撮影。
500円程度で撮ってくれるうえ、20分で完成なのでありがたい。
写真の出来栄えは...んー、まあ、最低限撮れてるので問題なし、といったところだ…。

こんなことをしていたらすっかり夕方になってしまった。

明日は朝4時起きからの、5時発の列車に乗り込む予定だ。
どうせなら前日にきっぷを購入しておこうと思ったのでファランボーン駅で訊いてみる。
「明日のアランヤプテート行きのきっぷは今買えますか?」
「今日は無理、明日じゃないとダメです」
とのこと。
翌朝きっぷを買わなければならないので、出発時刻ぎりぎりに駅に来るようではダメなようである。

私は駅前に宿を取っていたからよかったが、M氏は取っておらず別な宿に泊まることに。絶起は許されない状況となった。

果たして、騙されず、ぼったくられず、無事にカンボジアにたどり着くことはできるのか…。

つづく

<おまけ>
この日泊まった宿の同室がたまたま日本人の学生グループだった。
翌日には帰るのだそう。
「明日カンボジアに行くんですけど、めちゃくちゃ朝早く起きるんでうるさくなります。ごめんなさい」と先に詫びた。
旅の話もしたかったが、寝なければならなかった...。
北大のみなさん、見ていたら教えてください...。


マレー縦断鉄道旅 ⑨憧れの寝台列車でバンコクへ その2

あえて狙いでもしない限り一生乗る機会はないであろうタイの寝台列車に乗っている。
シンガポールからマレーシア、そしてタイへと陸路で北上するこのルートは終盤を迎えていた。

こんなルート、ほかにやっている日本人はいないだろうと”油断”していた。

そんな折、
「もしかして日本人の方ですか?」

こんな日本から何千キロも離れた異国の限界ルートで、日本人と出会ってしまった。
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左手に沈みかけの太陽を見ながら北へ進んでいく列車。

彼女は、私と同じ日本人の大学生のようだ。M氏としておこう。
そして、同じように東南アジアを旅しているのだという。

彼女と日本語で会話をしていたのはマレーシア人の男性で、小学生の息子を連れてタイへ旅行しているのだそうだ。彼は日本の高専に留学に来ていたのだという。
マレーシアに帰国して長いとはいうが、それにも関わらず流暢な日本語を話していた。
M氏と彼ら親子もまた、パダンベサールで出会ったのだそうだ。

一人旅のつもりでいたし、もちろんそれを嫌だとは思わなかったが、寝台列車に1人で乗るのは少し寂しいとも思っていた。
これもまた楽しいと思った。

・ハジャイ駅
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ダンベサールを出てタイ国内をしばらく走った列車は、ハート・ヤイ(ハジャイ)ジャンクション駅に到着した。
ここでは、マレー鉄道の東海岸ルートの路線と合流する。
マレー半島中部における交通の要衝といった雰囲気である。
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カメラに気づいてピースをする屋台の女性IMG_6798
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ハート・ヤイ始発の寝台列車だろうか。パダンベサールのイミグレーションで一緒になった日本人男性二人はこちらに乗っているのだろう。
我々の乗っている列車の車体は古いタイプのものだが、こちらは最近導入された中国製の新型車両らしい。

・列車は走る

日本の夏の夕方を思わせる、少し涼しい風。
マレーシアと違い、ホームが低いのがタイの特徴といえる。
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列車はそんな夕方の空気のなか再び動きだす。

西の空のオレンジもだんだん小さくなっていく。
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窓の外が暗くなっていく。列車は、ガタンゴトンと走り続ける。

列車はいくつかの駅に停まっていくが、ここは縁もゆかりもない異国の土地。
自分がどこにいるのかも、終点までどれくらいなのかも、想像がつかない。
だが、そこに日本の鉄道旅行にはない面白みを感じたりもするのだ。

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窓の外が完全に暗くなった頃、係員がやってきてベッドメイキングをする。
慣れた手つきでベッドの形にセットし、シーツなどを敷いていく。
数分で座席はベッドへと変わった。

私は下段のベッドだった。
上段は狭いうえ、何より窓の外が見えないのである。
タイ国鉄のチケットは日本からもネットで予約することができるが、なんとなくで選んだ下段で正解だった。なお、料金は下段のほうが少し高い。
高いといっても、パダンベサールからバンコクまでの約1000㎞の距離で3600円ぐらいなのだが…。

ハート・ヤイで連結を行ったようだ。見たところ、寝台ではなく座席の客車のようだ。
なぜか車内探検をしようという気にはなれなかった。
荷物から離れるのは少し危険だと思った。

自分のスペースで窓の外を眺めてみる。
周囲に何もないからか、今まで見たことがないほどの星空が広がっている。
そういえば、今回の旅では都市ばかりに宿泊していたので、まともに星空を見るのは初めてかもしれない。
車窓は基本的に真っ暗だが、明かりがちらほらと見えてくると列車は減速し始めて駅に停まる。
日付をまたいでも、それを繰り返していた。
それでも、乗り降りする人たちは少なからずいるので、人々は純粋に「移動手段」として使っているのだなと思った。

・旅は道連れ...
さて、私はバンコクに到着して、マレー縦断が完了してからの旅程について計画していた。
本当はタイ北部に行く予定だったので日程には余裕を持たせていたのだけれど、諸事情により今回はパス。
タイ国内でブラブラしてもよかったが、ある考えがあった。
どうせなら、と思ってM氏に話してみた。彼女は今回ノープランだからである。

「あの、カンボジア行くんですけど、一緒に行きません?」
「いいですねー!行きます!」

そんなわけで、バンコク到着後の予定がここで決まったのであった。

・朝がきた
数時間眠っていたら、窓の外が明るくなっていた。
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反対側の窓から。朝だ。

タイに入ってからというもの、果物を売る人が列車内の通路をうろうろしている。
彼らは夜中でもお構いなしだったが、朝になってからもっと活発に行ったり来たりを繰り返している。
鉄道関係者なのか勝手に売っているのか...。よくわからないが、買っている人は少なくないようだ。

朝とはいえ、列車がバンコクに着くのは10時頃なのでまだまだ先は長い。

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しばらくすると、再び係員がやってきてベッドは座席に戻った。
この作業を繰り返すのは大変だな...。

・旅の終わり バンコク
午前10時前。列車はスピードを落としていく。
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気がつけば窓の外には線路に沿って建つ家々や、遠くには高層ビルがそびえているのが見えた。
バンコク都内に入ったようだ。

遅れるという評判を聞いていたタイ国鉄の列車であるが、この列車は大幅に遅れてはいない。たまたまなのか、運行技術が向上したのか、気になるところではある。

列車はバンコクファランボーン駅手前で、停まっては動き、停まっては動き、を繰り返している。
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大規模なターミナル駅なので、列車の発着に際して時間が掛かるのだろう。「渋滞」と表現してもよかろう。
車掌が「ファランボーン、ラストステーションー」などと言いながら通路を行ったり来たりしている。

タイ国鉄は、マレーシアとは違い車内アナウンスや、そもそも車内放送というもの自体が存在していない。主要駅や終点までだったら問題ないだろうが、途中駅なんかだったら大変だろうなと思う。
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線路が広がっていくこの感じはヨーロッパの中央駅の雰囲気もある。

荷物をまとめ始める乗客、慌ただしくなる車内。そして、新しい街への期待。
終点に着くときの列車内の風景は、どの国に行っても同じものである。
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10:10頃。ほぼ定刻でバンコクファランボーン(สถานีรถไฟกรุงเทพ、Hua Lamphong)駅に到着。
マレーシア・パダンベサールから15時間以上の旅だった。
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着いて早々、日本からやってきた12系客車を発見。色を変えて第二の人生を歩んでいるようだ。
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ヨーロッパの中央駅然とした構造。国内の長距離列車は基本的にここから発着する。
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ファランボーン駅の待合所だが、ベンチの数が足りていないのか人々は躊躇なく床に座っている。

駅構内の両替屋で地下鉄に乗れる程度のタイバーツを入手する。
調べたところ、中心部に行けばもっと良いレートで両替できる場所があるのだそう。大きなお金はそちらで替えてしまおう。

さて、ここでマレーシア人親子とはお別れである。彼らはこの日の夜行列車で、タイ北部のチェンマイへ向かうのだそうだ。
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ファランボーン駅の外へ出る。

距離にして約2000㎞。
こうして、マレー半島最南端シンガポールから、マレーシアを経てタイへと北上してきた鉄道の旅は幕を閉じたのであった。

が、東南アジアの旅はまだまだ続く。
着いたばかりだが、明日カンボジアへ向かうため早朝の列車でこの街を発つ。

次の移動まで時間が無い。我々は、バンコクの中心部へと歩き始めたのであった。


「マレー縦断鉄道旅」 おわり
...旅は続きます(カンボジア編?につづく...かも)


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マレー縦断鉄道旅 ⑧憧れの寝台列車でバンコクへ その1

マレーシア最北の街・パダンベサール
1・2番線ホーム上にあるイミグレーションでマレーシアからの出国とタイへの入国を完了し、列車が来るまで待っていた。

マレーシアとタイとでは1時間ほど時差がある。
時刻表上では18:40発となっているが、マレーシア時間では17:40発である。

イミグレーションはある程度人を捌いたあと、とっとと本日の営業を終了してしまった。
もしバタワースからの列車に乗り遅れていたら(前回記事参照)、駅構内での出入国はできなかっただろう...。まあ、その場合には外にあるイミグレーションに移動すれば良いとのことだったが。

イミグレーションも終えるとなると、やることもなく1時間ほど暇をしている。
マレーシアからの出国は済ませてあり「タイに入国したことになっている」ので、マレーシア国内であるこの駅構内はあまりうろうろしない方がいいのかな、とか思ったけれど、特にそういうことではなさそうである。
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マレーシアの近代的な駅舎には似合わない古めかしい客車が停まっている。
恐らく今からあれに乗るのだろう。

タイ側からタイ国鉄の機関車に牽かれたコンテナ列車がゆっくりと入ってくる。
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写真なのでわかりにくいが、動いている機関車後方の扉から乗務員が飛び降り、手前の黒いシャツを着た乗務員が機関車に飛び乗った。止めればいいじゃん...。

それから数十分、機関車は駅構内を行ったり来たりしている。

私はやることもないのでホームのベンチでダラダラとその様子を見ていた。
すると、乗務員?と思われる男性が来て私にきっぷの提示を求めると、メニュー表らしきものを見せてきた。なるほど、お弁当のメニュー表のようだ。
支払いはマレーシアのリンギットでも、タイのバーツでも出来るようだった。
ただ、やはりこちらの物価にしてみれば少し高かったように思える。もっとも、高いといっても1000円以下だったのだが。
言われるがまま、写真を指差してお弁当を注文した。

18時をとっくに回っているが、列車はなかなか来ない。
そして、誰もそれを気にしていない。

18:15頃、先ほどの機関車が客車を牽いてホームに入ってきた。
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ダンベサール始発はなんと2両だった。途中で連結するのだろうか。

いよいよ今回のメインと言っても過言ではない寝台列車に乗り込む。
私にとってはこの上ない感動だった。

少しばかり昔話をさせてほしい。
私は子供の頃、神奈川県内の東海道本線沿線の線路脇の家に住んでいた。毎日朝晩に行き交う客車の寝台列車、いわゆるブルートレインを自分の部屋から見て、「いつかブルートレインに乗りたい」と思っていたものだった。
親には何度も言った。
だが、そのたびに「大学生になったら、大人になったら、自分でお金を貯めて乗りなさい」と返ってくるのだった。
10年の時が経ち、私が大学生になった2016年の時点で日本を走るブルートレインは全て廃止されていた。
もちろん、その10年の間で高速バスやLCCなどで安く速く移動する手段が現れ、便利になったのは事実である。だが、子供の頃に憧れていたスタイルの旅行が出来なくなっていたことに変わりはない。

だが、いろいろ調べていると、未だに「寝台列車が現役の国」というのがあるらしいと知った。
そのうちの一つがタイだ。
これは行くしかないと思いお金を貯めて日本から飛んできたのである。

想像していたのとは若干違うけれど、願いは一応叶ったのかな、などと。
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タイ語を見て、ようやくタイに入るのだと実感。

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座席と寝台は切り替えが可能なようだ。
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座席には先ほど注文したお弁当が用意されていた。
割とボリュームがあるのと、何故かスイカもついてきた。
他の座席の乗客のところには置いてなかったのだけれど、もしかして買わなくてよかったやつだったか...。
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列車はパダンベサールを出ると、しばらく徐行する。
数分で、再び駅に到着した。どうやら、「タイ側の」パダンベサール駅に到着したようだ。

マレーシア側では乗客はまばらだったが、タイ側の駅に到着するとどっと増えた。
あまりマレーシアの鉄道から乗り継ぐという乗客はいないのだろうかと思った。

周りの席にも乗客が次々に座ってくる。

私はお弁当に入っている鶏のから揚げ”らしきもの”を食べながらそれを眺めていた。

現地の人々が乗り込んでくるのを何も考えずに眺めていたのだが、
どこかから「日本語らしき言語」が聞こえてくる...。

いや、これは確実に日本語だ…。

聞き耳を立てていると、若い女性がこちらに話しかけてきた。
「もしかして日本人の方ですか」

つづく

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